很不错的餐饮所在,日式风格极致,有庭院景致还有禅意...
庭園とランチ。
こちらはかつて萩を代表した網元・山城家の屋敷でした。
敷地内にある庭園は山城家所有時代の1955年頃に作庭されたもので、当時の山城家のご当主が二年をかけて全国の庭園を巡って基本構想を練り、萩市内の廣兼造園 (現・菊屋家住宅庭園の管理を請負)に依頼して作庭にあたらせました。
時は流れ屋敷の所有が現在の畔合(くろごう)家へと変わり、カフェレストラン「畔亭/ほとりてい」として営業しています。
店名は畔合家の苗字と、屋敷の立地が萩城・外堀の傍である事に因んでいます。
畔亭は八百坪にも及ぶ広大な敷地を有し、庭園は主屋の北東から南の面に沿って作られ、松やモミジ、また玉もの仕立てのサツキなどが美しいバランスで植えられています。
訪ねた時は丁度ツワブキの花が満開で庭の足もとに黄色いアクセントの愛らしさを添えていました。
2階建ての西棟・座敷から臨む風景がこの庭園の正面となり、庭園中央の平地には白砂が敷かれ、そこにリズミカルに飛び石が配されています。
庭は背後が僅かに高くなっていますが、その高低差は大きくなく平庭的な印象を与えてくれます。
明確な築山を設けず、背後に大きな立石を林立させた迫力ある構成をとり、右手の三尊石と石の五重塔を庭の中心とし(五重石塔は正面からは松に隠れて見えませんが、これは手前の松が大きく育ち過ぎた為だと推察)、左手には行手を阻むようにそびえる立石群を設け奥には枯滝石組を置き、目には見えない想像の滝水を手前の枯池へと流し、そこに石橋を架け、手前の白砂の海に至ります。
高低差と奥行に陰影が重なり、視点遷移の変化に富んだ景観はまさに古代中国の漢詩に謳われた深山幽谷の如しです。
更に側面から庭を臨んでも大変美しく、テーブル席がある西棟より眺める風景は飛び石が手前は大きく、奥に行くほど小さくする事で遠近感が強調された景観を作り出してます、この手法は正面からの景観にも用いられていますが、西棟からの眺めは横幅が狭く奥行きが深いので一番奥の木立までの距離感がより一層強調されて、時の流れさえも感じさせる程の奥行き感を齎しています。
その景観が臨める西棟の縁先に置かれた菊花型手水鉢は、1890年(明治二十三年)に伊藤博文が神奈川県小田原 (1897年大磯に移転)に建てた別邸「滄浪閣(そうろうかく)」から移されたものです。
滄浪閣には1893年に明治天皇のお二人の皇女が避寒の為にご滞在されており、その繋がりも考えられる由緒ある一品です。
この他にも庭内には菊花紋章の浮彫を火袋に持つ石灯籠があり、こちらは京都・二条城から移されたと伝えられています。
畔亭・庭園は、品格高い萩に相応しい由緒ある景物が揃った素晴らしい庭です。
(令和元年11月22日)
名前 |
畔亭・日本庭園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
很不错的餐饮所在,日式风格极致,有庭院景致还有禅意曲调。