(18/01/20) 国の重要文化財。
江戸幕府二代将軍徳川秀忠を祀る霊廟の遺構です。
ここにはかつて壮大な秀忠の霊廟があったそうですが、先の大戦による東京への空襲でほとんどが焼けてしまったとのこと。
ただ、こちらの惣門は奇跡的に焼け残り、江戸時代初期の貴重な建築物として国の重要文化財に指定されています。
江戸幕府二代将軍徳川秀忠の霊廟の惣門だった建物で重要文化財です。
台徳院(だいとくいん)は 秀忠の院号で、霊廟は、秀忠が死去した寛永9年に増上寺境内南側に建立されました。
徳川家霊廟の中で最も規模の大きなものでしが、の東京大空襲で大部分が焼失し、惣門・勅額門・御成門・丁字門が残されました。
惣門は現地に保存されましたが、勅額門・御成門・丁字門は、昭和35年に所沢市の狭山不動寺(埼玉県)へ移築されています。
江戸幕府二代将軍徳川秀忠を祀る霊廟の遺構。
ここにはかつて壮大な秀忠の霊廟がありましたが、先の大戦による空襲でほとんどが焼けてしまいました。
こちらの惣門は奇跡的に焼け残り、江戸時代初期の貴重な建築物として国の重要文化財に指定されています。
背景の東京タワーに朱色がマッチした、古さと新しさが見事に融合した景色だと思います。
夜のライトアップが綺麗です。
大きな道を渡ってみると、東京タワーと一緒に見えますよ!
増上寺に主役を取られてますが、こちらもステキです。
門を通って進むと芝生の広場に出ます。
春は薔薇も咲きます。
秀忠公の墓所の門 東京タワーも良く見えます。
台徳院霊廟 (2代徳川将軍秀忠公の霊廟) 江戸初期を代表する建築物群の 惣門[台徳院霊廟について]3代将軍徳川家光により 芝増上寺境内に 1632年 寛永9年に 建立当時の最高の芸術 と建築技術を駆使して作られた建築物群壮麗さでは日光の東照宮を凌駕していると言われ戦前は国宝に指定されていたが戦火により 大半が焼失し国宝の指定から外れ 存在そのものが長期間忘れ去られていました1910年 明治43年ロンドンで開催された日英博覧会に出品された現物の1/10の精巧模型が英国王室ロイヤルコレクションとして保管されていることが 分かり長期貸与 うけ芝増上寺の地下の宝物館で 見ることができます焼け残った 御成門 勅額門 丁子門の3つの 国指定重要文化財 は旧ユネスコ村( 閉園) 狭山山不動寺 に 移築された台徳院霊廟の特徴として 奥の門ほど煌びやかになります。
台徳院霊廟跡の門ここを上がると公園で東京タワーがよく見えますよ😀😀
ザ・プリンス パークタワー東京敷地内にあります。
荘厳かつ雄大です。
夜間のみ通り抜けが出来ません。
2013年にはWA太鼓乱舞 in SHIBAが開催されています。
夜はライトアップされて、より美しく映えます。
背後に東京タワーが見えて、美しく、都内でもお気に入りの絶景スポットです。
徳川2代将軍秀忠の霊廟が増上寺にかつてあったが、空襲で消失。
この門だけ残ったとの事です。
流石に将軍。
素晴らしい建物です。
両脇の阿吽の像は、埼玉の他の寺で放置されていたものを修繕、浅草浅草寺のちこちらに移転したと。
波乱の人生?だなぁ。
但し室町時代の作。
門から内側は整備されたコンクリートの道になっていて往時を忍ばせている。
徳川二代将軍秀忠公の霊廟門のみが、現存する場所です。
現在のように、綺麗に改修整理される前から門のみが、保存されていることが、記憶に有りますが、二代将軍秀忠公の霊廟の御門とは、思ってもいなかったです。
考えてみますと、この芝公園は、徳川家にとっては、大変に由緒深い場所であることが、分かりました。
代表的、浄土宗大本山増上寺、旧台德院霊廟、芝東照宮等徳川家の関係寺院が、多い場所ですよね❗️ゴルフ練習場の頃には、余り綺麗では有りませンでしたが、現在は、風格と、威厳有る御門に成っています。
現在も、戦後に集約化された徳川家の霊廟が、増上寺裏に、存在しています。
歴代将軍の全ては、無いですが、存在すことが、理解できる様に成りました。
この地は、徳川家の歴代の将軍の菩提寺だった場所ですね⁉️お城側の、御成門から東京湾プリンスホテル、増上寺、芝東照宮、その他寺院、芝公園、高速道路芝公園口迄が、徳川家の由緒有る場所だった様ですね‼️その中に、丸山古墳が、存在する事も不思議ですね‼️6
二代将軍徳川秀忠公の霊廟の総門で、戒名が、台徳院のことから、この名が着きました。
とても良かったです!
迫力あります。
奥の階段を登っていくと広々とした公園に辿り着きます。
1632年に建築された江戸幕府第2代将軍徳川秀忠公の霊廟の惣門にして国の重要文化財。
秀忠公の戒名である台徳院殿興蓮社徳譽入西大居士に因み、台徳院(たいとくいん)霊廟といわれ、戦前は本殿、拝殿、宝塔など江戸初期を代表する建築物の大伽藍があった。
多くの建築物は、国宝(現重要文化財)に指定されていたが、1945年東京大空襲で多くの伽藍を失った中で、戦火を免れた数少ない建築物の一つがこの惣門。
秀忠公の墓塔はその後、お江の方のお墓と合祀され、増上寺内安国殿の裏にある徳川将軍家霊廟内に建てられて現在に至っている。
色鮮やかな朱色の門は、背後の東京タワーともよく似合う。
特に、午前中は順光で空の青さが引き立つので、増上寺と併せて午前中の観光、参拝がおすすめ。
芝の増上寺の隣にある徳川秀忠の墓所の惣門です。
朱色の門には二体の仁王像も安置されています。
第二次世界大戦の空襲で焼失しましたが、この門の奥には本殿や宝塔など、様々な堂宇などがある荘厳な霊廟だったようです。
金剛力士像がとても迫力があり立派です😊街中に突然あるので、土地勘のない私は少し驚きました❣️赤・白・黒・金のコントラストが綺麗です👍🏻✨
とても大きくて迫力がありました!rこの迫力を伝えたいと思いシャッターを切りましたが、あまりの大きさに被写体が収まらず撮影に苦悩するほど。
r文章や写真では伝えられない迫力…すごい!!rなお、両脇には木造仁王像もいました。
台徳霊廟は徳川幕府2代将軍秀忠の霊廟で、芝増上寺境内南部に造営された。
1945年、第二次世界大戦東京大空襲により、壮大な規模であった霊廟のほとんどが消失した。
その中で、数少なく残った遺構のひとつがこの惣門。
建立当時は現在より西側に位置し、1959年東に45m移された。
入母屋造八脚の朱塗りの門。
現在の場所として、芝公園内ザ・プリンスパークタワー東京の入口部にあり、前を通る日比谷通りから目立つ。
門両柱部に仁王門像を備える。
ライトアップされてキレイです。
二代将軍・徳川秀忠公の霊廟(墓所)。
東京大空襲でほぼ全焼してしまい、残ったのがこの惣門と勅額門・御成門(現在は所沢市の狭山不動尊に移設・保存)。
江戸時代初期・家光時代の華麗な装飾性の高い建築の貴重な遺構。
増上寺の三解脱門を左に進んで、方丈門を過ぎるとすぐに目立つ立派な赤い旧台徳院霊廟惣門が見えてきます。
港区芝公園、ザ・プリンスタワー東京の敷地に建っています。
台徳院霊廟は寛永9年1632年正月24日に死去した二代将軍秀忠の霊廟で同年2月から建立が始まりました。
秀忠の霊廟については増上寺で徳川家のお墓を有料で見学出来ますが、記念にハガキが貰えました。
その中に東京大空襲で焼失してしまった台徳院殿霊廟 奥院宝塔写真が入っていて初めて目にしましたが、白黒なのにその贅を極めた壮麗さに驚きました。
又、失われた霊廟の建築群は増上寺の宝物展示室に模型があり、かつての見事さを想像する事が出来ます。
この惣門は焼失を免れた一つで、他に免れたのは勅額門、御成門、丁字門だったそうでその3つの門は昭和38年に埼玉県ユネスコ村に移築され、現在の所在地は狭山不動尊境内です。
門には2体の金剛力士像もあります。
こちらは元々埼玉県の西福寺にあったものが1948年に浅草寺に譲渡、更には1958年、昭和33年頃惣門に移されたそうです。
立派な門です。
(18/01/20)国の重要文化財。
個人が所有。
金剛力士像はもと埼玉県川口市の西福寺にあったもので1948年に浅草寺に譲渡され、1958年頃に現在の惣門に移されました。
仁王像が迫力満点。
背景に東京タワーが有り夜景の撮影にオススメです。
阿像と吽像を配置した立派な御門。
思わず見惚れてしまうくらい力感溢れる彫像と御門。
珍しい霊廟です。
赤い門。
きれい。
東京プリンスのタワーの地下2階で、よくIT関連のセミナーやフォーラムが開催されるが、ここに東側の入り口があり近道。
(木が繁り爽やかなアプローチ)これに対し西側は日向の暑い坂道を登り、エスカレーターをいくつも降りて延々と辿ることになる。
芝公園駅近く。
美しい。
とても綺麗です。
焼け残ったものを修復したもので、大変にきれい。
昔の将軍家の凄さが、うかがえる。
尚、勅額門、御成門(天人門)、丁子門、灯篭などの戦火を免れたものは、ユネスコ村、狭山不動寺に移築保存されている。
名前 |
旧台徳院霊廟惣門 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
【芝公園の円形広場へ続く階段の入口】この奥の階段の先には芝生と東京タワーが広がります。
無料でお散歩できます。