ペリーさんの右前方に増上寺が見えます。
浦賀に黒船とともに来訪し日本開国のきっかけとなったペルリ提督の像。
教科書ではペリーだった気がするが、どちらが新しい呼び方かは不明。
公園の中にあるので、落ち着いて見ることが出来ました。
歴史で習ったペリーです。
夜にこの像を見ると腰抜かすかも。
増上寺 の向かいにある 芝公園 10号地に ペルリ提督 の像があります!おなじみの呼び名は、マシュー・ペリー ですが、当時の日本の文書には、ペルリ と記載されたそうです!向かいにある日米修好通商条約の 記念碑 をじっと見ています☺️
芝増上寺の道路を挟んだ向かいにありました。
教科書で見たペリーとは似てない…。
何で敢えてここに立地したのか知りたいところです。
思っていたより派手さは無く、穏やかな感じの場所でした。
ペリーさんの右前方に増上寺が見えます。
その手前に喫煙スペース🚬ありますので喫煙者はそちらで一服。
吸わない方は周りにベンチありますのでそこで休憩できます。
増上寺山門の道路向かい近くにあります。
像にはペルリとありますが、オランダ語読みだとペルリになるそう。
像周辺には何も記載されてなかったように見えましたが、昭和28年(1953)東京都が日本開国百年記念祭を開催したとき、ペリー提督の出身地のロードアイランド州ニューポート市に石灯籠を贈り、その返礼として贈られたものだそう。
本名はマシュー・カルブレイス・ペリー嘉永6年(1853年)6月と嘉永7年(1854年)の2回、米国使節として艦隊を率いて日本へ来航して開国を迫りました。
全然似ていないと評判なのでちょっと見て来たけど、ホントにいつもイメージするペリーとは違います。
港区の東京ガイドで調べてみました。
昭和28年1953年、東京都が日本開国100年記念祭を開催した際、ペリー提督の出身地であるロードアイランド州ニューポート市に石灯篭を贈り、その返礼として贈られた。
像は幕末の歴史を物語るかのように徳川家の菩提寺である増上寺に向かい合うように建っている。
だそうです。
でも何だって徳川家の菩提寺を見据えるような感じですぐ近くに建てたんでしょうか。
下田のペリー艦隊来航碑だったら場所も意味あるし、教科書なんかで見たまんまのペリーで違和感なかったです。
万延元年遣米使節記念碑がちょうど向かい側だから、ネタに見てみるのもいいかも。
公園内にあります。
教科書の写真よりハンサムだ。
何故ここにペリーさんの銅像が有るのか?由緒くらい書いて欲しい。
かくせいざい まったん ぺるり はくじん ぶぞく はつおん めいれい にほんこくせき たいりょう ぎゃくさつ こやく らち ぎゃくさつ こども らち ぎゃくさつ せんそう しなりお まもる。
浦賀あたりでもペリーをフィーチャーしたお祭りなどやっているが、こんな人間性の悪い、アメリカ帝国主義の手先みたいな奴を顕彰してどうする! それも徳川家菩提寺の増上寺と対峙するかのような位置に! とまあエキサイトしてもしょうがないか。
増上寺の道の反対側。
喫煙スペースの側で若干煙い。
ペリーがイケメン過ぎる。
☆ペルリ提督の像日比谷通りの東側にある。
嘉永6年1853年と嘉永7年1854年の2回、米国使節として艦隊を率いて日本へ来航し、開国を迫った東インド艦隊司令長官ペリーの像。
ペルリはオランダ語読み。
昭和28年1953年東京都が日本開国百年記念祭を開催した際、ペリー提督の出身地であるロードアイランド州ニューポート市に石灯籠を贈り、その返礼として贈られた。
ペルリ提督像は幕末の歴史を物語るかのように、ペルリ提督が開国を迫った幕府徳川家の菩提寺である増上寺に向かい合うように建つ。
名前 |
ペルリ提督の像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
ぺ「開国して下さ~い」