有名どころですから行くのは当然として。
12月初旬、日曜日に八幡掘とこちらの神社とたねやさんを目的に伺いました。
当日は車が一杯で駐車できませんでしたが、もう一周したところで運よく停めることができました。
こちらの神社は規模こそそう大きくはないですが、とても良い!と思える神社でした。
ぐるっと周って、説明を読んでも15分もかからないと思います。
ありがとうございました。
平日12時頃、若干混雑ありました。
わんこ🐕連れだったので、家族と交代で入りました。
駐車場は無料で良かったけど、ほぼ満車でした。
たまたま出庫した車があったので駐車出来ました。
参道付近には、漬け物屋さん、甘味処、押し寿司屋さんがありました。
日牟禮八幡宮に訪問🚗駐車場(無料)に停めて、参拝🇯🇵家内安全と新型コロナウィルスの消息をお願いしてから、御朱印を頂きました。
近江国守護として八幡様として祀られました。
歴史を感じる日牟禮八幡宮は圧巻です🎌
織豊期の城下町であり、江戸期に隆盛した近江商人発祥の地、近江八幡に鎮座まします古社。
由緒は第十三代成務帝、穴穂部宮に即位(131年)の砌、武内宿禰に命じ、当地に大嶋大神を創祀されたるが比牟礼社鎮座の始めの由。
応神帝六年(275年)近江行幸の砌、奥津島之神社に参詣せられたる還幸の折、宇津野々辺に御少憩され、御座所を置く。
後年、御仮屋跡に日輪の形二輪見ることができた故をもって祠を建立、日群の社八幡宮と称さるとの伝記あり。
爾来、持統帝五年(691年)藤原不比等公参拝の折に詠みたる和歌に因み、比牟礼社に改めらる。
正暦二年(991)一条帝の勅願により八幡山に上の社建立し宇佐八幡宮を勧請、寛弘二年(1005)現在の地に下の社建立さる。
以降朝廷、足利将軍家、近江守護佐々木六角氏、徳川将軍家等、武家の崇敬篤く、昭和四十一年、現社号に改称され今に至る。
本殿横の鏡池と屏風岩、堂々たる本殿、拝殿、楼門、整然と並び立つ数多の境内社と参道の風情が印象的。
御朱印あり。
●御祭神・譽田別尊(第15代應神天皇の御神霊)・息長足姫尊(應神天皇の母神功皇后の御神霊)・比賣神御祭神3柱を八幡様と奉称しているとのこと。
●鎮座第13代 成務天皇が即位された際(西暦131年)、武内宿禰(たけうちのすくね)に命じて当地に地主神である大嶋大神を祀られたのが起源です。
3月14日、15日は火祭りとして有名な左義長祭が開催されているそうです。
たまたま居合わせてとても楽しませてもらいました。
神さん大勢いらっしゃリました、私、全てお参りして来ました、滋賀の方は琵琶湖を海と仰るようで、海の神様金毘羅さんも御鎮座してました、正直 神社はヒーリング効果有るので好きです、特に日牟禮八幡宮は近江の人々の守り神として愛されていると感じました*お隣がロープウェー乗り場なので写真アップしときます。
車道からほんのすこし入った所にあるので落ち着いた感じで緑が深くて目を閉じれば一人空間が味わえます。
聖火リレーのスタート地点だったので、足を伸ばして参拝しました。
ご神木に感動しました。
【滋賀県近江八幡市/は八幡伝統的建造物群保存地区/日牟禮八幡宮】One of the places you should visit in the old city in Omi-Hachiman city is Himure shrine. The carp streamer were raised and they are beautiful that I could take good pics.近江八幡市のは八幡伝統的建造物群保存地区は予想以上に感動感が高い場所でした。
ここはまた再訪したい場所です。
まず、伝統的建造物が美しく、日本の良き伝統文化を感じとる事が出来る点。
八幡堀の小舟が往来する姿、のどかな雰囲気が流れている点。
地区の散策で伝統的建造物を肌で感じる、八幡堀を眺める、近江牛を楽しむ、クラブハリエでの洋菓子、もしくは他店舗での和菓子。
あとはこの日牟禮八幡宮参拝です。
日牟禮八幡宮は別表神社(旧県社)は伝承によると、成務天皇元年(131年)、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大国主神を祀ったのが草創とされています。
室町時代には足利将軍家や六角氏の寄進を受け、天正13年(1585年)に豊臣秀次が八幡山城を築城するため、上の八幡宮を下の社に合祀。
主祭神 は 誉田別尊、息長足姫尊、比賣神。
まだ鯉のぼりが掲げられており、写真映えしました。
有名どころですから行くのは当然として。
前の道路を奥に行くとロープウェイ駅があります。
城跡なんですがよくまぁこんな高いところにって思います。
景色は最高!時間があるなら行ってみるのも面白いですよ!
古くから八幡商人の信仰を集めてきた日牟禮(ひむれ)八幡宮は、八幡山の南麓にある神社です。
古い街並みの一番奥に構える大鳥居やお社には木々が生い茂り、神域の清々しさを感じます。
国の選択無形民俗文化財にも指定されている二大火祭が有名で、毎年3月14・15日に近い土日には「左義長まつり」が、4月14・15日には「八幡祭/松明祭り」が開催され、多くの人でにぎわいます。
左義長まつりという威勢のよいお祭りがあり、その準備に町の人が注ぐ情熱が凄くて!とても愛されている神社さんなんだなと思います。
八幡さんと親しみを込めて呼ばれる事も多いようですね。
人も少なく参拝しやすかったですよ。
るろうに剣心ロケ地巡りに訪れたので、林の方も見てきましたが、誰も居なくて!お陰で堪能出来ました(笑)界隈にはお菓子で有名なたねやさんなど様々な商業施設が並び活気のある観光地となっています。
近くの八幡堀へも是非立ち寄ってみて下さい。
豊臣秀次さんが水路を用いて発展を願った、近江商人の町ならでは風景が素晴らしいですよ!駐車スペースは参道にあるのですが、土日などは朝イチで行く方が良さそうに思えます。
平日に伺い、たまたま一箇所空いてる所に停めることが出来た感じなので。
駐車場も参拝者用に有ります。
空き無ければ観光駐車場。
秋は菊で飾られてます。
ロープウェイには駅近くにも車は止めれます。
更に奥に行くと小さな無料駐車場も。
余りそこまでは行かない。
周りにクラブハリエ、たねや、堀端あります。
きれいな場所です。
立派な建物でした。
周辺はロープウエイ、水郷巡り、歴史がありそうな建物の飲食店などがあってお参りだけでなく色々楽しめます。
誉田別尊(ほんたわけのみこと)・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・比売神(ひめかみ)の三神を祭神とする旧八幡町の総社。
古くから近江商人の信仰を集めた氏神を祀る古社。
国の選択無形民俗文化財にも指定されている二大火祭「左義長まつり」「八幡祭/松明(たいまつ)祭り」が有名。
参拝客少ないけれど、古くて立派な神社。
歴史があり、言い伝えも面白い。
自然の美しさと人工の美しさとが喧嘩せず見事に調和している。
境内は自然に溢れており気分が安らぐ祭神は誉田別命他。
駐車場に車がいっぱいとまってましたが、参拝客はほとんどいませんでした。
たねや、八幡山に行ってるんでしょうね。
1、鎮座の始め伝記によれば、131年、第13代成務天皇が高穴穂の宮に即位の折に、武内宿禰に命じ、現在のこの地に大嶋大神(地主神)を祀られたのが、社の鎮座の始めとされています。
2、社名の由来應神天皇6(275)年、天皇が近江に行幸されました。
その際奥津島神社に参詣され、還幸の折に宇津野々辺(社の近辺と見られる)にて御少憩になり、当地に御座所が設けられました。
年を経た後、その御仮屋跡に日輪の形を2つ見るとの奇端があり、祠を建てて「日群之社八幡宮」と名付けられました。
持統天皇5(691)年には藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟礼社と改められた旨も伝えられています。
そもそも日牟禮社の社名は、日觸の転とする説があり、和珥・日觸使主に由来します。
日觸使主を始めとする和珥氏は、應神天皇に深い縁故を有し、同族の櫟井氏とともに江州(u003d現在の滋賀県地方)土着の氏族です。
古来わが国の各地に分布していた氏族の多くは、その祖神あるいは紙祇を奉祀していました。
この一般例に鑑みると、当社は同族の人びとがその祖神を祀る斎場に、縁故深い八幡大神を合祀したものと考えられます。
3、上の社下の社正暦2(991)年、第66代一條天皇の勅願により、法華峰(八幡山)に社を建て、宇佐八幡宮を勧請して、上の八幡宮を祀りました。
さらに寛弘2(1005)年には遥拝の社を麓に建て、「下の社と号す」こととなりました。
現在の社は麓の「下の社」に相当すると解することができます。
上下に社殿を整えた時代にも、皇室の崇敬は篤く、弘安4(1281)年蒙古襲来の折には奉幣があり、康安2(1362)年には御光厳天皇、永和元(1375)年には後圓融天皇と二度の綸旨を下して天下の静寧を祈らせ給いました。
また承久3(1221)年源氏に神主補命が下されて後は武家においても、足利将軍家を始め近江の守護六角氏以下のもと神事の退転を防護し、社領を寄進するなど種々の尊崇の実を尽くされました。
天文10(1541)年には、近江の守護佐々木六角に召され観音寺に登城、御屋形号を許されました。
4、秀次公と合祀天正18(1590)年、豊臣秀次公が法華峰に八幡城を築城のため、上の八幡宮を麓の比牟礼社に合祀しました。
替地として日杉山に祀る予定でしたが、折りしも文禄4(1595)年秀次公は自尽に及びました。
このため八幡城は廃され、日杉山に神社も建立されず、現在の如く一社の姿となったのであります。
秀次公の八幡城は廃城となりましたが、城下町は商人の町として発展し、名にし負う近江商人を育てました。
当社は近江商人の守護神として、崇敬を集めることとなったのでした。
5、徳川家と御朱印慶長5(1600)年9月18日、徳川家康公は関ケ原決戦の後武運長久の祈願をこめて当社に参詣し、御供領五十万石の地を寄附せし旨が残されています。
寛永20(1644)年家光公より御朱印の下附があり、寛文5(1665)年には家綱公も御朱印を残されました。
徳川氏が当社に尊崇を挙げたものと解されます。
6、安南渡海船額正保の頃、近江商人の亀鑑として、安南屋・西村太郎右衛門の事跡を今に伝える絵馬「安南渡海船額」は、正保4(1647)年当社に奉納されました。
日本海洋史好古の資料として、菱川孫兵衛の筆と主に珍重され、重要文化財に指定を受け神庫に蔵しています。
7、郷社、県社、日牟禮八幡宮明治9(1876)年郷社に列し、附属村社36社、町村66ケ町・52ケ村を附せられました。
さらに大正5(1916)年には県社に列せられました。
昭和41(1966)年、神社本庁別表神社に加列し、神社名を日牟禮八幡宮と改称するに至ったのです。
8、二大火祭当神社には二大火祭があり、一つは3月の左義長祭が、もう一つは4月の八幡祭(松明・太鼓祭)が、奉納行事として氏子の奉仕で行われてます。
左義長祭は八幡開町以来の城下町66ケ町の氏子により、八幡祭は山根十二郷の氏子により、執り行われる習わしです。
双方ともに昭和33(1958)年、滋賀県無形民俗文化財の指定を受け、さらに平成4(1992)年2月、国選択無形民俗文化財に選定され、御神徳のまにまに毎年盛大に奉納されています。
9、たたずまい本殿裏には屏風岩が聳え立ち、鏡池が森厳さをかもします。
八幡さまを祀るが故に地名を八幡を名付けたとも伝えています。
観世流の能楽には、由緒を謡った日觸詣があります。
近江の守護として湖国の中心に祀られ、広く崇拝される八幡さまであります。
以前、参道の駐車スペースに車を止めたときにドアパンされました…しかも当てたらしき車?には人が乗っていたのですが一言も無く車内で《チラチラ・ニヤニヤ》田舎の方が多いのか?ドアの開け閉めも豪快で気にされないようです…年にお祭りが何回かあるようですが?未成年らしき方々が喫煙やアルコールを飲まれ練り歩かられます『お祭りだから良いじゃない』という場所らしいです。
あの藤原不比等も訪れた神社だそうです。
御朱印の文字が実に下手くそでした。
もっと練習しなくっちゃいけません。
いい雰囲気の神社境内でした。
近江八幡で一番有名な神社です。
近江八幡の「八幡」は日牟禮八幡宮からとって名付けられたそうです。
昔から近江商人の信仰を集めています。
境内は簡素ながら美しさがあります。
神社の裏には八幡山の登り口があります。
参道にはクラブハリエや漬物屋、ロープウェーの駅があります。
昼間は観光客が絶えません。
少し離れた場所にラコリーナもあって、このあたりは休日になると車が多いです。
他府県からの日帰り観光客が多いので3時過ぎたら空いています。
「八幡まつり」の時には大きな松明がたてられます。
近江商人が信仰したため、楼門など全てが豪壮で立派な神社。
私としてはそのくらいの認識しかなかったが、白洲正子さんの「近江山河抄」を読んで認識を改めた。
かつてこのあたりには沖の島を神の島として崇める信仰があり、それは沖ノ島の市来比売命を崇める宗像大社の写しで沖の島を奥宮、大嶋奥津嶋神社を中津宮、日牟禮八幡宮を辺津宮とするものだった、と書かれている。
歴史家ではないひとの大胆な仮説だが、あながち無視は出来ない真実があるように思う。
現に日牟禮八幡宮の境内社には八幡神が勧請される以前にあったとされる大島神社が境内社として存在する。
この話は近江の古い信仰形態として興味深い。
あと面白いと思ったのが、火伏せの神さまとして愛宕さんの灯籠があり関西ではよく見かけるのだが、ここ日牟禮八幡宮にはその隣に秋葉山の灯籠があったこと。
これは東海地方から関東にかけて厚い信仰を受けている火伏せの神さま。
両方あるのが全国を股にかけた近江商人の社らしい。
それと熱田神宮と津島神社がお祀りされた常盤神社の存在。
これも愛知県の神社なら必ず摂社、末社にある神さま。
近江八幡が尾張領だったなごりとか。
14年3月 左義長祭りと八幡堀散策のために来訪。
左義長まつりは有名な火祭りで、その年の干支の人形が神輿となって街中を練り歩きます。
元々は中国の旧正月(春節)で爆竹を鳴らす習慣が転じたそうですが、ここでは独自の文化となっているようです。
寒い中でも躍動的なお神輿と掛け声が街中にこだまします。
14年11月再来訪。
七五三の時期のためか拝殿にはアンパンマンとバイキンマンが飾ってありました。
珍しいですね。
同時に境内には菊花展で綺麗な菊花が心に潤いを与えてくれました。
参拝の後に、八幡山ロープウェイで山頂に登り琵琶湖一望の眺望を楽しみました。
八幡堀散策やクラブハリエでのお茶やバウムクーヘンを楽しむことも出来ます。
昔から近江商人の信仰を集める神社。
にぎやかな参道から一歩入ると静かで落ち着いた空間とゆったりした時間が流れる。
能舞台もある。
土日は参道が車で溢れ、駐車スペースを探すのに苦労する。
訪問時は丁度お祭りの最中で、提灯が飾ってありました。
参道には有名な和菓子店もあり、風情ある雰囲気がありますので観光客が多いです。
クラブハリエやお堀端には何度も出かけているのに、八幡さんには参拝したことが無いのに気付き、昨日、参拝とロープウェイを目的に出かけました。
由緒ある落ち着いた雰囲気の神社にお参りさせていただき、清々しい気持ちでいたのですが、最後にご朱印を頂いた時に残念なことが・・・普段なら「お願いします。
」と御朱印帳を差し出すのですが、口を開く前に奪い取るように御朱印帳を持ち去られ、エアコンが効いているためか、ガラス戸をピシャンと閉められました。
あれれ?と思ったら、立ったまま御朱印を記入、そして「300円です。
」とぶっきらぼうに言われ、お金を渡したら、またピシャン。
こんな体験は初めてで、本当にびっくりしました。
神職はサービス業ではないので、愛想を振りまく必要は有りませんが、神様と人を繋ぐ「お役目」は有るのでは?たぶんもう八幡様にはお参りには行かないと思います。
無料の駐車場があって、とてもいいです。
近くにクラブハリエや、たねや、八幡山城などのスポットがあって飽きません。
境内も広々としていて、良かったと思います。
御朱印も頂けます。
場所は駅にも比較的に近く行きやすい。
建物も歴史を感じさせるぐらいに古さを感じるが、建物の説明が現地では表記などあまりされていないので事前に調べていく方が良い。
名前 |
日牟禮八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0748-32-3151 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
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評価 |
4.1 |
琵琶湖の湖東、近江八幡市にある2000年近い社歴の有る由緒ある八幡神社楼門前に無料で駐車できます、境内への入場も無料です。
それ程広い境内ではありませんが、立派な拝殿、本殿などがあります。
3月に行われる左義長は国の選択無形民俗文化財だそうです。