清浄でチリ一つおちていない。
会津若松の地名の由来なった森神社境内は大変手入れよく、清浄でチリ一つおちていない。
掃き清めたような雰囲気。
思っていたより大きな神社で、しかも造作等が素晴らしい。
日野という町はやはり凄い。
日野は中世以来の都市で、日本で最も古い都市であるらしい。
綿向神社の近くにあるのが若松の森で、蒲生氏郷が会津黒川に移封後、黒川を会津若松と改名したのは、この若松の森に由来するらしい。
東北出身なので、会津若松は小学校の遠足の定番だったし、白虎隊は「英雄」として語り継がれていた。
その会津が実は日野の殿様だった蒲生氏あっての街だったことを知ったときには「さすが近江の殿様」とうれしかった。
いまでも会津若松市には甲賀町(もとは日野町であったが「火の町」に繋がるとして日野のとなり甲賀へと町名を変更)や何件か近江屋の屋号を持つ商店が存在する。
また会津の名産である会津漆器は、会津の漆と日野椀の技術が融合したものらしい。
おそらく氏郷は当時は後進地であった奥羽に、日野の人々を有能なテクノクラートとして連れていったのではないか。
彼らを連れていけば、新しく城下町を作ることは容易くなる。
城下町を近隣の商業の中心とすることも容易くなる。
なんといっても彼らは先進的な工芸、商業、遠隔地交易や社会の生成において先進的な技術を身に着けていた人々だ。
それほど当時の日野は、近江は「先進地」だった。
そして日野の人々も地生えの蒲生氏によく懐いたのみならず、この殿様が民に利をもたらすことを知っていた。
ゆえに松坂でも会津でも、ついて行った。
蒲生氏郷は有能な戦闘指揮官、文化人、行政官だった。
しかも古くからの豪族で信長の娘婿という筋目もよかった。
優秀すぎる故に秀吉に疎まれ、90万石の大封をもって辺境の地の会津へと移封されてた。
などと考えながら境内を歩くと、大変に気分がよかった。
2023年5月 日野祭の日に行きました。
境内が広く、社殿も大きくて立派でした。
独自の文化と自然が存在してる。
その場は異世界につながり、高貴な力が存在している。
悩み事がある人は1度訪れて見るほうがよいかも?訪れたときに風が吹いて、心地よさを感じたら歓迎されているかもしれない。
神様の使いの猪です。
足腰が強くなるように触れさせてもらいました。
合掌神社はさすが蒲生家にも近江商人にも篤く信仰されただけあって、荘厳で美しく、神秘感も漂ってました!
昔から地元の日野商人に愛されている歴史ある神社。
参道には芝生がひかれており、ゆったりとした気分で参拝することが出来る。
5月には日野で最大の祭り“日野祭”が行われている。
真田戦記馬見岡綿向神社滋賀県蒲生郡日野町村井711平安初期796年に里宮として現在の地に遷し祀られたと言われています。
鎌倉期から安土桃山期にかけて、この地の領主であった蒲生氏は氏神として当社を尊び庇護し、更に江戸期に全国に名をはせた近江商人の中の日野商人達の財力に支えられ、出世開運の神として崇敬が集められました。
明治9年郷社、同42年県社に列せられ、そして今の世も氏子人等の心の拠り処と崇め親しまれています。
蒲生氏郷は会津黒川に転封した際、この神社の参道一帯にあった、若松の森、と呼ばれた松林を偲び、新たな領地の会津黒川を会津若松に改名しました。
基本的に平地な日野町市街地の中にこんもりとした森が現れ、その中心に鎮座しているのが「馬見岡綿向神社」です。
鳥居をくぐると森の中には広い境内が広がっていてとても気持ちのイイ神域なっています。
神社創建の伝説に「猪」が関わっているようで境内のあちらこちらにて猪関連のオブジェも点在しているのが特徴です。
社殿は拝殿が舞殿のように独立したカタチで本殿が隠されておらず独立しています。
なので珍しい裏神様も祀られていてそれに参拝可能です。
こんな所にこんなにいい神社があるの知りませんでした。
すごく広い神社ですごいパワーを感じました。
行って良かったです。
日野城跡に行った後に、近くにあったので行ってみたのですが、想像していた5倍?の立派な光景に驚きました!日々、手入れされているのがわかる美しさの中にある重厚感たっぷりの鳥居がまず目を引きます!緑がたっぷりで心が解ける感じです。
古い絵馬なども掲示されており、丁寧に、愛され続けてきた神社さんなのだろうなと感じさせられました。
御朱印は書き置きが日付いりで無人で置いてありました。
(日付入りだなんて親切ですね)その横に300円の拝受料を納めるパターンです。
こうゆう時、日本って凄いなと感心します。
こちら、猪所縁もあるようで、導かれたり、救けられた話はほかでも聞きますが、野性の本能と言うのでしょうか、動物の危機管理能力って凄いですよね。
因みに、撫で猪と言うものが有り、コロナ対策バッチリの!エアータッチでしたよ!何から何まで完璧です!{携帯の電源はお切りください}との表示があったにも関わらず、この、美しさを!参れずにいる母にも見せたくて撮ってしまいました!ごめんなさい!
【参道】が芝生で上賀茂神社のように開放的でした。
【本堂】は今まで見たことがない作りで(ここら辺では普通?)珍しいと思いました。
庭もこじんまりとしていましたが石橋など有り綺麗でした。
昔 関東から街道を歩いて帰ってくる時に小判等の大金を盗賊に奪われないよう松の土に隠して無事に持って帰った時にお礼として植えられた 【千両松】など有り、教科書等には載ることはないですが、隠れた歴史なども知ることと出来て良かったです。
二回目に訪問したときは、夏の昼間で暑かったですが、天気も良く、さるすべりの花が綺麗でした。
ひっそりとした佇まいの中に荘厳であり、善い氣に満ちています。
日野のひな祭りを見に来て散策していたら見つけて立ち寄りました予想以上に大きな敷地と立派な社殿、特に屋根の造りは初めて見る形状と重厚さに驚きました当日は雛人形の展示公開もやっていましたまた参拝に行きたい神社です。
御朱印について:去年(2018)の夏(8月)は係の人が直筆で書いてくれたんですが、今年(2019)の2月は、書き置きになってました。
書き置き自体は幾つかの寺社で経験してるので、それは構わないのですが、よく見ると文字そのものもプリンターの印刷でした。
多くの参拝客が訪れる初詣に合わせてたりしてるのかも知れませんね(手書きだと間に合わない)。
憶測ですが。
御祭神天穂日命(あめのほひのみこと)天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)武三熊大人命(たけみくまうしのみこと)御由緒当神社の起こりは、東方に気高く聳える綿向山の頂上に、神武天皇の御宇出雲国の開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇六年(545)その頂上に祠を建てたのが始まりと伝える。
その後、平安時代の初期、延暦十五年(796)に里之宮として、現在の地に遷し祀られたという。
以来、延喜式神名帳にもその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の里の大宮として、何時の時代も当地の産土神と、人々の信仰の中心となってきた。
殊に鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、この地の領主であった蒲生氏一族は、氏神として尊び庇護し、更に江戸時代に名をはせた近江商人の内の日野商人達の巨万の財力にも支えられ、出世開運の神として崇敬が集められ、明治九年郷社に、同四十二年県社に列せられた。
そして、今の世も氏子人等の心の拠り処と崇め親しまれている。
その始め嘉応二年(1170)とする春季例大祭(五月二・三・四日)は日野祭と称し、三人の神稚児や三社の神輿、十六基曳山車を中心に、古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下にも有名で、県の指定文化財に指定されている。
なお、綿向山頂(標高1110米)に祀る奥之宮(大嵩神社)は、古来より二十一年毎に社殿を建て替える式年遷宮の祭事が、今も絶えることなく続けられている。
かつて鉄火起請(てっかぎしょう)が行われた場所でした。
鉄火起請とは、神前で熱した鉄を持ち火傷が軽いものが勝者とする裁判のことです。
江戸時代、付近で村同士で里山の入会権(いりあいけん)を巡る争いをこれで収めたと記録に残されています。
この時、敗者側代表者の角兵衛は町内引き回しのうえ磔にされたとされています。
名前に馬とあるがイノシシが神様。
境内は広々としているが厳かな雰囲気で緊張感ある。
カーナビはへんなアプローチを教えてくれてえらい目にあったが、南側からアプローチすればなんてことはない。
正面に車も置けるし境内でお婆さんが二人座って喋っていたが、車から降りると話しかけてくれた。
こういう思わぬ地元の人とのふれあいはうれしい。
イノシシの絵の描かれたボードがあったので去年のが放置されてるのかと思ったら、イノシシがこの神社の神使なのだそうだ。
鳥居のところにあったという若松の杜は蒲生氏郷が幼少時に慣れ親しんだところで、その後、三重松阪や会津若松を地名は氏郷がこの若松の杜を偲んでつけたときくと感慨深い。
ご朱印もいただけました。
ありがとうございました。
凄く綺麗な神社❗猪を撫でる珍しい神社です❗
日月を表すトリクグラズ と『下がり』と呼ばれ日の長さを表す小縄のついた勧請縄が入口の巨木に吊るさ 両端の地面には小幣が立てられています。
これだけの山車が一堂に集まるなんて、豊かさの象徴だ。
上品なお祭りでした。
猪を神の使いとしている神社です。
亥年の今年は例年より参拝客も多いようです。
撫で猪を撫でるのをお忘れなく!!近くの観光駐車場、境内の駐車場も含めて駐車場が5つあります。
第1駐車場は神社境内にあります。
それ以外は少し歩いた所にあります。
それぞれ徒歩2分から5分くらいの所です。
意外にも第3、4くらいの駐車場の方が第2駐車場よりも近い??しかも駐車場の路面もキレイで車の足回りも汚れずにすみます。
第1駐車場に入ると出口まで一方通行になります。
参拝後に近隣の観光も考えているなら別の駐車場に停めて旧道に出た方が何かと便利です。
日野町の最高峰、綿向山頂上にある大嵩神社の里宮です。
毎年5月2日・3日には春の例祭として、絢爛豪華な曳山で賑わう湖東地方最大の日野祭が行われます。
2018年も、日野祭が開催された。
昨年と比べると少なかった曳山だが、見事な彫刻、見送幕…等々、大変見応えがある。
神事と御神輿も、伝統が脈々と受け継がれていることが感じられ、目が離せない。
3人の御稚児さんは、本当にお疲れ様。
手が出せないお母さんは、ハラハラ、ドキドキだろうと思う。
このお祭りは、人々の生活に根づいていて、地域一丸となって創り上げ、盛り上げていることに尊敬の念を抱く。
末永く受け継がれていくことを願う。
会津若松の地名の由来なった森綿向神社の近くにあるのが若松の森。
蒲生氏郷が会津黒川に移封後、黒川を会津若松と改名したのは、この若松の森に由来する。
いまでも会津若松市には甲賀町(もとは日野町であったが「火の町」に繋がるとして日野のとなり甲賀へと町名を変更)や何件か近江屋の屋号を持つ商店が存在する。
日野町の中心的神社ですね。
広々とした境内と鳥居が印象的です。
信仰を集めてるようで、祈祷を受ける人をよく見かけます。
お祭りの日の準備中でした。
綺麗にお清めされて、清々しい境内で、流れる水も超きれい。
あちらこちらに蜥蜴がいて、3匹見っけ🎵
思わず息を呑んだほど素晴らしすぎるロケーション。
自然とお参りがしたくなりました。
緑がいっぱいで時間があればもっとゆっくり散策したかった。
ここは手入れが行き届いてて雰囲気、歴史も素晴らしいですね。
日野に行ったら是非行きたい神社だと思います。
名前 |
馬見岡綿向神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0748-52-0131 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
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24年05月 日野祭に行きました。
晴天に恵まれ、活気あふれる祭でした。
お神輿三基や山車十基、見ごたえがあります。
22年05月 参拝しました。