江戸期から昭和初期まで賑わっていた遊郭の跡地です。
長崎丸山華街(花街)の碑・看板 / / .
江戸期から昭和初期まで賑わっていた遊郭の跡地です。
江戸期は江戸の吉原、京都の島原と並んで日本三大遊郭の一つにも数えられました(丸山を外して大阪の新町を数えることもあります)。
丸山は出島があり西洋人の出入りもあることから、海外にも名前が通るほどの遊郭だったと言われています。
交易に来た西洋人は日本にずっと滞在する人もいましたが、丸山の遊女はその西洋人の相手をすることもありました。
ちなみに西洋人と丸山の女性との間に生まれた子供は、7歳まで出島で育てられて、その後は長崎の街で生活をしたそうです。
幕末には勤皇の志士も丸山に出入りをしています。
今は料亭が2店ほど残っているだけで、当時の面影を残すものは記念碑ぐらいです。
名前 |
長崎丸山華街(花街)の碑・看板 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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昔の雰囲気が残っています。