周囲が田圃の中に道路に向かった鳥居があるので見つけ...
炎のピラミッド⑤ 吉松神社トイレ🚻無し駐車場🅿が無いので路駐車椅子♿は難しいです☹炎のピラミッド5ヶ所目は 吉松神社です。
こじんまりとしたお宮です。
だいふくも炎のピラミッドを知らなければご縁は無かったでしょうね🐈近くに電車が通っていました。
御祭神 國龍神 比咩御子神小さな神社です、本著には阿蘇神社の「卯の祭り」と「火振り神事」と「吉松宮三角形」として書かれています。
神社誌には延文五年(1360)に創立と書かれています、田尻宮司によれば、これらの神社の配置は6世紀頃(1500年前)には成立しているということです。
吉松三角形は白い三角形の図で確認されて、阿蘇中央にある高岳を中心にした三角形を形どって火山を抑えむと言う意味があるのかも知れません🐈俵山山頂によって俵山線が決まり、吉松宮の配置が決められたのか他の神社の配置が決まってからかはわからないです。
火振(ひふ)り神事(しんじ)阿蘇神社三の宮・年称神(としねのかみ)は、お嫁(よめ)さんを迎えます。
春祭りの申(さる)の日には、御前迎え(ごぜむかえ)といって、お嫁さんを赤水の吉松神社の南にある山からお連れすることになっています。
その日の朝、阿蘇神社から神主さんと若者たち5・6人で迎えに行くのですが、目かくしをした神主さんが林の中の樫の木を手で探しあてます。
最初に手がふれた枝がお嫁さんとされていました。
真綿(まわた)で包まれた花嫁のご神体は、神主や若者達に守られて、浜神社~横道~渋川~蔵原~竹原を経て宮地に向かいます。
途中、それぞれの場所で決められた儀式がありますが、西町の薬師堂では花嫁であるご神体に樫の葉をかざり、ひえの御飯を供えます。
宮地に入ると、塩井川で身を清め、白粉原では米の粉の白粉でおしゃれをします。
辺りがうす暗くなった宮地の町中では、人々が思い思いに手にしたカヤを束ねた松明に火をつけて、一行の到着を今か今かと待ち受けています。
松明が打ち振られ、阿蘇神社の楼門が闇の中におごそかに浮かび上がると、やがて花嫁行列がしずしずと松明の光の輪の間を抜けて行きます。
阿蘇神社での婚姻の式が終わると、御輿に乗り町中を抜けて川辺にある川辺土井へ向かい、左手で二矢放ちます(ひだり弓といいます)。
三の宮の前を通る時、行列の一行は一言も言葉を交わしてはならず、物音も立てず静かに静かに通り過ぎて行きます。
阿蘇神社・三の宮・年祢神と花嫁御前は、こうして結ばれる運びとなる。
年称神は、彦八井命、草部吉見神、国龍神ともいい、農家にとって一番大切なお米の神様とされてます。
吉松宮には年称神、比咩御子神が祭られています。
🐈と書かれています。
三宮の前を通るときは一言も発してはならない。
阿蘇家は神武天皇の孫と言っていますから、健磐龍命(一宮)その妃神で阿蘇都比咩命(二宮)を始めとして以下の12柱の神を祀り「阿蘇十二明神」と称しています。
通常言われる阿蘇12神がこちら阿蘇神社の12神一の神殿(左ー手)一宮 -- 健磐龍命三宮 -- 國龍神(二宮の父)五宮 -- 彦御子神(一宮の孫)七宮 -- 新彦神(三宮の子)九宮 -- 若彦神(七宮の子)二の神殿(右手)二宮 -- 阿蘇都比咩命(一宮の妃)四宮 -- 比咩御子神(三宮の妃)六宮 -- 若比咩神(五宮の妃)八宮 -- 新比咩神(三宮の子)十宮 -- 彌比咩神(七宮の妃)奥神殿(正面)十一宮 -- 國造速瓶玉神(一宮の子)十二宮 -- 金凝神(一宮の叔父)この阿蘇神社の三宮、四宮が祀られているのが吉松宮であると考えたら、四宮の比咩御子神とは誰なのかを考えて見たいと思います。
草部吉見神とそのお妃比咩御子神を祀る神社とまでは言われるのですが、だいふくが参考にしてる古神道研究家の田辺先生と百島先生の説から、追うとまた違う角度から見えてくるものがあるのです🐈まず、嫁入り先が阿蘇家に入る血筋となるのですから阿蘇神社も火振り神事として受け入れる、阿蘇家の血統に繋がるものです🐈阿蘇家が天皇家に繋がる一族。
健磐龍命が國龍命≒草部吉見神の子である。
神武天皇の子である。
という話まで拡大していますが多少誇張と拡散やっちゃってる感もありますが百嶋先生の神代図からは草部吉見(母神クラオカミ)と健磐龍命(母神アイラツヒメ)は腹違いの兄弟であって親子ではありません。
ただ、本物の神武天皇のお妃であったアイラツヒメが阿蘇家に払い下げられたことから健磐龍命は形式的には神武天皇のお妃の子とも言えることから誇張が可能となっています🐈腹違いの弟である健磐龍命が草部吉見の娘天豊ツ姫=アソツヒメを妃としている事から兄弟とも親子とも言える関係にある。
なんば言いよっとかわからんですね☺腹違いの兄の娘と結婚てどんだけよ(笑)古代の姻戚関係は複雑で婚姻期間も短い1年で終わったりします。
熱の冷め方は現代とかわらんですね☺(笑)数年単位かぁ🤔裏山歯科!!(この言い回し九州人には伝わるはず)この為分かり難いのですが、これを理解すれば、まぁまぁ景色がみえてきたりします🐈吉松神社の祭神の草部吉見神の数多いお妃の中で吉松神社の祭神=阿蘇神社四の宮比咩御子神(三宮の妃)に相応しいのは高木大神高皇産霊尊、高御産巣日神の次女である栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)命そう設定しないと、現在の阿蘇家の正統性が保てないからです🐈栲幡千千姫の娘の天豊ツ姫アソツヒメと健磐龍命のの娘、雨宮姫から阿蘇家初代惟人が産まれているからなんですねぇ☺草部吉見神と栲幡千千姫の間に産れた天忍日(興ツ彦)と雨宮姫との子でもあるからです。
百嶋由一郎先生のお話によると草部吉見の 草部 とは 伽耶部 (カヤがベ)の意味と読みで、高木大神の本拠地である半島の「伽耶」の先住者であった高木大神の一族の入婿の意味で、栲幡千千姫をお妃としているので、島原半島に近い側の阿蘇河口の西部に居を構え、そこから輿入れする儀式が行われていると考えるべきです。
九州王朝、肥前肥後の基盤ですね☺恐らく、それを「日下部」と読み替えさせたのは白村江の敗戦以降の仕業で、倭国→日本国への転換(近畿大和を中心とする裏切り)炎のピラミッドの底辺、底線は熊本市内の健軍神社に延びていますが、その正面から延びる参道は雲仙普賢岳を意識して造られています😮雲仙岳直下の島原市にある四面神社こそが高木大神を祀る神社です。
🐈健軍神社(熊本市)の正面の雲仙は、南高来郡であり、南北高来郡~阿蘇~三田井(高千穂)は、元々、高木大神の支配領域であり、実質的には阿蘇家はその形を変えた継承者であり、その後の藤原氏となる草部吉見系阿蘇氏と健磐龍(実体は高木大神系)の強固な合体、☺孫悟空とベジータがゴジータになったと思っていただければと思います。
古代の大和朝廷が形成されていくことになったのです。
とても小さい神社ではありますがとても重要な神社の一つです。
阿蘇を鎮めるために是非とも行かれてください🐈お気をつけて🚗ありがとうございます🐈
名前 |
吉松神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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周囲が田圃の中に道路に向かった鳥居があるので見つけやすい神社である。
氏子のの方に会い阿蘇神社の神事のことを聞いた。