負け戦でわかってでも、日本の為に、ありがとうござい...
伊藤整一海軍大将の墓碑 / / .
もはやこれまでと判断されると、独断で作戦を中止。
総員に退艦命令を出し、自らは司令官室に残られた(有賀艦長もまた、艦に残られた)
歩いていける距離なので、日常の平和への感謝を伝えに行っています。
名前も知らないのにこんな立派な方がいらした事に感動しました。
大牟田岬町の狭い道を入って行きました。
綺麗に管理してあります。
春になると桜か綺麗かも。
民家の中にあり、わかりづらいが入口付近に多少の駐車スペースがある、しかし長期駐車はご迷惑なので注意!
まいピア高田に史料があります。
道が細いので近くの峠茶屋に駐車できます。
第二次大戦末期、第二艦隊の司令官だった方で、理不尽な作戦(水上特攻)を命じられ、戦艦大和以下10隻の護衛艦と共に沖縄へむかいましたが、案の定途中で撃沈され、大和と運命を共にされました。
出身は福岡県みやま市高田町ですが、墓を建てる時、海が見える場所とゆうことで、ここへ建てたそうです。
個人的には、いくら負け戦とはいえ、もう少し評価されてもいい方とは思いますがね。
命日の4月7日には、海上自衛隊の方々が墓参りに来ている模様で、荒尾市方面から行くと、ゴルフ場入り口の1つ先を右折して、右側4~5軒目の白い塀の家と倉庫みたいな建物の間を入って行くと、右手前方にあります。
駐車場は、ゴルフ場入り口の南側にある店の駐車場か、北側に公園があり4~5台ほど止められますし、ゴルフ場入口にある峠の茶屋にもいいですから、そちらを利用して下さい。
公共交通機関では、JR大牟田駅前のバス停から「黒崎団地行き」に乗って、団地入口下車徒歩10分くらいです。
私は戦争遺跡や歴史上の将校のお墓、慰霊碑を求めて九州一周の旅をしています。
今朝は佐世保市の東山海軍墓地で別れの挨拶をしてから長崎県を越えて三時間、大牟田市にある伊藤整一海軍大将のお墓に来ました。
この日は非常に大きい台風10号が近づいていて九州も強風域に入るところでした。
お墓のある所を示す看板は目に届きやすく分かりやすいのですが、矢印の方向は住宅と住宅の間の幅1㍍程度の小道を入ってすぐの所にありました。
もうその時には台風の影響が出始めていて大粒の雨と強めの風が吹きはじめていてなんとかお線香を立てて黙祷して写真をいただけました。
去年は呉市の戦艦大和の慰霊碑に手を合わせ、この旅で鹿児島県の枕崎市の火之神公園に行った時は戦艦大和受難の碑に手を合わせ最後に第二艦隊司令伊藤整一大将のお墓に手を合わせることが出来て感無量です。
第二次大戦末期、第二艦隊の司令官だった方で、理不尽な作戦(水上特攻)を命じられ、戦艦大和以下10隻の護衛艦と共に沖縄へむかいましたが、案の定途中で撃沈され、大和と運命を共にされました。
出身は福岡県みやま市高田町ですが、墓を建てる時、海が見える場所とゆうことで、ここへ建てたそうです。
個人的には、いくら負け戦とはいえ、もう少し評価されてもいい方とは思いますがね。
命日の4月7日には、海上自衛隊の方々が墓参りに来ている模様で、荒尾市方面から行くと、ゴルフ場入り口の1つ先を右折して、右側4~5軒目の白い塀の家と倉庫みたいな建物の間を入って行くと、右手前方にあります。
駐車場は、ゴルフ場入り口の南側にある店の駐車場か、北側に公園があり4~5台ほど止められますから、そちらを利用して下さい。
公共交通機関では、JR大牟田駅前のバス停から「黒崎団地行き」に乗って、団地入口下車徒歩10分くらいです。
戦艦大和の第二総司令官 海軍大将は、伊藤整一氏は、4月7日戦艦大和と沈み命を落とした。
毎年、命日の4月7日には、海上自衛隊佐世保基地より、慰霊に参加している。
生まれは、三池郡現、みやま市であるが、お墓は、大牟田市にあり、慰霊祭は、墓地か、大牟田市民会館で、「大和さくらの会」が主催し慰霊が行われている。
14時23分に沈没。
日本海軍が終わった時でもあった。
墓地には、大和などのレリーフもなく、残念であるが、今も国旗は、上がっている。
日本人として是非、御霊の鎮魂を願うばかりです。
お参りは自由ですが、駐車場がありません。
有明カントリークラブに入り坂を20m程上り、左側に国旗ポールがあり、見下ろす形で墓地があります。
尚、伊藤整一氏は戦没して階級が変更になり、大将になりました。
又、大和が、沈没した日、4月7日が、戦没日とさせ、毎年、佐世保海上自衛隊より、来賓が来られ、慰霊祭を行っている。
名前 |
伊藤整一海軍大将の墓碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
近くに、あるのも知らずに、負け戦でわかってでも、日本の為に、ありがとうございます!そして大和乗組員全員に、安らかに眠って下さい、そして、ゆっくり休んで下さい。