うっかりしてると通り過ぎてしまいます。
旧逢坂山隧道東口跡地 / / .
当時、日本人主導での最高技術の結晶。
日本の土木技術もここから広がったと思うと感慨深い。
日本の近代化遺産。
手掘りと書いていたのでとてつもない労力で造られた昔の人の夢を感じる。
先人の遺構。
素晴らしい感動した‼︎
昔の国鉄が通っていたトンネルでしょうか?
国道から逸れ、すぐ左手に入口がありますが、うっかりしてると通り過ぎてしまいます。
歴史を感じますが、作り自体はまだまだしっかりしてそう。
側溝には中から湧いた水が途切れる事なく流れています。
バイク・チャリ・歩きなら寄り道にオススメです。
国道からすぐですが入り口はわかりにくいです。
車には狭いかも。
もっとトンネルの中まで探検できたら最高ですが、入り口から10mぐらいしか入れません。
それでもレンガ作りでええ雰囲気です。
明治の10年ごろから大正までつかわれていたそうです。
東海道線下りとして使われていました。
日本人の技術で作られたトンネルです。
現在は近くにあるトンネルが掘られつかわれています。
いまは、京大の地震研究に使われているそうです。
中山道沿いに残されていました。
駐車場はわかりませんでした。
日本のトンネルを掘る技術をしっかり見ることができます。
逢坂山トンネルの右と左で大きさが違う。
鉄道記念物旧逢坂山ずい道東口このずい道は、日本人の技術者、技能者が主体となって設計·施工をおこなったわが国初の山岳ずい道です。
明治11(1878)年10月5日東口から、また同年12月5日西口からそれぞれ掘削を始め、約1年8ヶ月の歳月を費やして明治13(1880)年6月28日に竣工したもので、大正10年8月1日、線路変更により廃線となるまで、東海道本線の下り線として使用されていたものです。
全長664.8メートルにおよぶこのずい道は、当時の工部省(「明治3(1870)年に鉄道·鉱山·工作·灯台·電信·造船など、殖産興業のための官営事業をつかさどるために創設された中央官庁。
95年廃止。
」)の直轄であった生野銀山の労働者が伝統的なノミやツルハシを主体とした手掘りで掘り抜いたとされています。
こうして完成した逢坂山ずい道は、鉄道の歴史に残る記念すべきもので、日本の技術史の上でも大きな意義をもつものです。
坑門上部にある「楽成頼功」の篇額は、竣工を記念して時の太政大臣·三条実美の揮毫によるもので、「落成」は「落盤」に通じる忌み言葉であることから、縁起の良い「楽成」の字をあてました。
日本の近代トンネル技術は、その後、世界的なレベルへと大きく発展することとなりました。
鉄道記念物 昭和35年10月14日 指定西日本旅客鉄道株式会社 京都支社平成20年3月 設置。
京都の鉄道博物館で、ここのことが少し説明されていました。
鉄道遺産として、見るべきです。
こちら側のポータルは現存していますが、反対側は名神の工事に伴って埋められた為、もう二度と見ることはできません。
東海道線はここまで登ってきたわけであり、当時の機関士の苦労が偲ばれます。
あと、この付近には当時の橋台が残ってます。
手入れしてあればいい散策場所です。
気づかないと通り過ぎてしまう場所にあります。
日本人だけで掘ったトンネルとしては、ここが初めてらしいです。
写真は東海道本線の下り線で、上り線は完全に塞がってました。
国道1号線沿いなのにひと気がなく静か。
日本史上初の山岳隧道。
外国人技師に頼らず掘られた 歴史的に非常に価値のあるトンネルが、良い状態で残されています。
東海道にはこういう歴史もある。
明治13年に竣工した隧道かつての東海道本線だ。
名前 |
旧逢坂山隧道東口跡地 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://gijyutu.com/ohki/tanken/tanken2004/ousakayamaT/ousakayamaT.htm |
評価 |
3.7 |
説明看板が掃除されて見やすくなっていましたので写真を上げておきます。
脇に京都大学防災研究所附属地震予知研究センター逢坂山観測所の管理棟と思われる建物があるのですが、廃墟のようになっていてちょっと怖い感じです。
行くなら明るい昼間がおすすめです。