こちらは中世初期に築城された山城です。
見晴らしが良い!トイレや駐車場が整っている。
眺めは最高です。
静かなところなのでのんびり?出来ます。
福岡のお城は立地や長い歴史から様々なタイプのお城があって面白いのですが、こちらは中世初期に築城された山城です。
眼下に八女市は黒木の街を臨みつつ、有明海まで広がる筑後を見渡せる良い景色です。
また、猫が地名についている珍しい場所でもあり、「猫尾城の犬走り」など、ワンニャン言ってそうな場所なのも面白いです。
黒木の街からでもハイキングがてら行けますし、クルマなら山のてっぺん付近の城山公園までいけますので、八女市の観光の際には是非足を運んでいただきたい場所でもあります。
城跡です。
ここから見渡す景色もよいです。
古戦場後みたいなので慰霊碑があります。
黒木町を見下ろす事ができ、春には桜の花が咲き、お弁当を持って花見をしながらのんびりとするのもよいかもしれません。
下に降りたなら城山公園があります。
そちらに駐車してから徒歩でこちらまで来たら良いかと思います。
案外と知られていない場所みたいなので、近くを通ったら景色を眺めてみてください。
山々と木々がある黒木の自然を満喫できます。
冬には寒いので春・秋がお勧めです。
夏は日陰がないので暑いです。
途上の道幅が狭くカングー では厳しく切り返しに難儀しましたが静かで心落ち着く良い場所です。
1167年、黒木大蔵大輔源助能(すけよし)が薩摩の根占から筑後国黒木に移り、築いた城です。
黒木氏は、南北朝時代には南朝方として活躍しましたが、戦国時代にいると、筑後で勢力を延ばした大友宗麟の率いる大友軍と戦い、敗退し落城します。
猫尾城は、標高240mの猫尾山山頂にあり、本丸は南北56m東西28mで周囲には犬走りがもうけられていました。
東西建物部には石垣を、南北には土塁がきずかれていました。
本丸の南東・北東部の隅には3箇所の櫓がありました。
その他馬場や二の丸、三ノ丸の跡も見ることもできます。
南北朝時代には、黒木氏は南朝方について菊池氏らと共に猫尾城で戦っていたらしい。
戦国時代には、黒木氏は耳川の戦いの後は龍造寺についていたが沖田畷の戦いの後に大友義統に攻められている。
包囲されたが援軍もあり持ちこたえ膠着状態にあったが、立花道雪・高橋紹運の参戦により落城した。
たしか予想外の耳納産地ルートから攻められたんだったかな?戦国期の筑後周辺は大友・島津・龍造寺の三勢力に挟まれて右往左往せざるをえなかった苦悩が伺える。
地図で見ると黒木は山の中にある広い平地でそこを見渡せる猫尾城は重要な場所だったのだろう。
因みに、近くに犬尾城もある。
今は城山公園として整備されています。
山の上に小さな公園みたいなのと神社がありました。
黒木の町が見渡せる高台でした。
トイレ駐車場もありました。
案内板のありお城の説明や縄張りは分かりました。
若干ではあるが石垣も確認でき石垣好きには観る価値ありでしたッ!遺構に関しては石垣以外はここが○○かなッ位の感じだったので本丸、三ノ丸、二ノ丸と分かる様に案内板のあったら良かったかなッと思いました。
本丸跡には神社の建立されていますッ!城跡までの山道は狭い為、対向車には気を付けて進まれたほうが良いかと思います。
近くに広い駐車場のありましたッ!城跡は素晴らしかったですッ!
もう少し手入れをして頂きたい。
関ヶ原合戦の大功により、筑後一国33万石を拝領し柳川城入城した田中吉政も支城のひとつとしたが、1620年、2代目忠政が嗣子なく死去。
田中氏が改易となると同時に、一国一城令(廃城令)が出されて廃城となっている。
サクラ時期は展望も良く気持ちいいです🎵
元は黒木氏の居城。
元和7年(1621)、有馬豊氏入国の際、久留米城改築のため解体して材を運ぶ…現在は石垣の一部などが残るのみ。
本丸石垣石材は結晶片岩で、城山の基盤岩。
風化が進んだものが多い。
久留米城本丸東側の蜜柑丸側にも片岩を主体とする石垣が見られるが、肉眼では石材はここから持ち出したものでは無いように感じる。
駐車場、トイレもあり、眺めは最高です。
名前 |
猫尾城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0943-23-1982 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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黒木氏の納めた🏯跡です🤔。
本丸跡には、石垣が現存し、黒木町内が一望に見渡せます☺️。
福岡県史跡🤓。