上をむいて進んで行きたくなる門でした。
佐賀城で唯一残っている建物である鯱の門と続櫓は、江戸末期に建てられた本丸門であり、明治初期に江藤新平や島義勇ら不平士族による「佐賀の乱」を見届けた門です。
佐賀城の1番の見所?
佐賀城鯱の門天保7年(1836)に建立された本丸の門。
入母屋造。
二重二階の櫓門で続櫓が付き、屋根に約20トンの青銅の鯱が載っている。
また、門扉には佐賀の乱で放たれた弾痕が残る。
瓦の直線的な並びが美しく、上をむいて進んで行きたくなる門でした。
青銅製の鯱は青空に映えるいいかんじの色です。
鍋島直正公銅像の方に向かう路上に、「ゾンビランドサガ」とコラボされた「二階堂サキ×鍋島直正像」のイメージがあしらわれたマンホールの蓋が見られました。
天保6年(1835年)の二の丸火災を機に、享保11年(1726年)の大火で焼失していた本丸を再建するにあたって天保9年(1838年)に表門として新たに建てられたもので、屋根に一対の青銅製の鯱が載っている事から鯱の門と呼ばれています。
現存する遺構の1つで、佐賀の乱の際の弾痕も残っており、続櫓と併せて国の重要文化財に指定されています。
実際その重厚な存在感は城内でもピカイチです。
堂々たる佐賀城正門の鯱の門です。
屋根の鯱の銅像が門のアクセントになっています。
駐車場と少し狭いですが駐輪場もありました、ロケーションは良いとおもいます。
本丸歴史館の見学を終え「鯱(シャチ)の門」を出ると結婚式の写真撮影が行われていました。
🏯の門は結婚写真撮影に最高の場所ですね。
鯱の門は、1836年に再建された時に建造された本丸の表門で、続櫓とともに佐賀城で唯一残った残った歴史的建物です。
鯱の門壁は白壁で、棟の両端には名前の由来である青銅製の鯱が置かれています。
どっしりと構えた門や扉には「佐賀の役」の弾痕が残り、当時の闘いの凄まじさを物語っています。
なお、鯱の門と続櫓は国の重要文化財に指定されています。
いつ見ても、この門は美しい❣️
佐賀城 鯱の門 (重要文化財) は二ノ丸が 天保6年(1835年) 火災で焼失10代藩主 鍋島直正 が 行政機能 を 備えた本丸御殿 の 再建 を 始めこの 門 は 天保9年(1838年)6月に 本丸の 門 として 出来上がりました屋根の 両側の 隅に青銅 で 造られた 鯱 が 載せて ある事から鯱の門 と 言われています明治7年(1874年) 佐賀の乱 の 銃弾の 跡が 幾つも 残っています。
この門が残って居て良かったと思える程の重要な門です。
これが無かったら寂しい城跡に成ってたかな。
いいですねぇ。
佐賀城で現存する唯一の遺構の鯱の門。
屋根の鯱にちなんでこの名前があるらしい。
生々しい銃弾の痕が鮮明に残っており、その時代に思いを馳せようにもその時代がどの時代なのか知らんがね。
いいねぇ、とにかく現存はいい。
佐賀の乱で焼け落ちた佐賀城の中で現存しているのが鯱の門です。
写真にもありますが門には当時の銃弾跡が生々しく残っています。
新たに鍋島直正公の銅像が建てられ、周辺は綺麗に整備されています。
晴れた日に立ち寄ると大変気持が良いです。
幕末に再建された重要文化財の佐賀城本丸の櫓門。
屋根の頂に一対の青銅製の鯱を冠しています。
名前 |
佐賀城 鯱の門 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
空が広く感じる。
すぐ近くの歴史館がおすすめ。