名前 |
梅野神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
村社 梅野神社 佐賀郡松梅村大字梅野祭神五十猛神三女神創立の年代詳かならさるも、伝ふる所によれば、此地の地頭たりし人京都出身にて其氏神たる梅宮神社の分霊を祀り社ならん、石華表に聖武天皇皇后云々其後嵯峨天皇橘嘉智無御子云々仁明天皇云々あれとも摩滅して読む能はず。
明治十二年七月村社に列せらる。
佐賀県神社誌要ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー梅野神社京都梅宮神社の分霊山の守り神お産の神様(安産を祈る)仁明天皇の皇后は子宝に恵まれず梅野神社に祈願したところ子供を授かった祭神は五十猛の神外三女神拝殿内掲示由緒ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー梅野神社 上梅野名尾川の清流をはさんで、松梅小学校と相対する所に古めかしいお宮があり、これが梅野神社である。
このお宮の創立年代は不明であるが非常に古いことは周囲の神域とその風格が自から示している。
伝えられるところによれば、この辺一帯の地頭であった人が京都出身で、その氏神である梅宮神社(京都市右京区に現存)の分霊を祀ったのがその創立であるといわれる。
松梅地区内では井手の天満宮と共に鎌倉時代の創立ではないかと思われる。
江戸中期に火災にあい古記録共に焼失している。
ただ社前の鳥居に刻まれている 「聖武天皇、皇后云々……其後嵯峨天皇橘嘉智無御子云々………仁明天皇云々……」の文字が読めるだけで、あとは風雨にさらされ磨滅して不明である。
橘(たちばな)嘉智子は橘清友の娘で仁明天皇の皇后である。
皇后は子宝に恵まれず京都の梅宮神社に祈願したところ子供を授かったという伝説があるので、そのことを鳥居に記銘しているようである。
ちなみに嵯峨天皇、仁明天皇は平安初期の天皇である。
祭神は五十猛神(いそたけのかみ)の外三女神で、昔からお産の神様、酒造りの神様として氏子(上梅野一区、二区、井手原)はもとより、土地の人の信仰は厚く、特に安産を祈る婦人の参詣が多いという。
なお、松梅という名称は、松瀬村と梅野村の合併によりできたのであるが、その梅野の名はこのお宮が歴史的に考えても、梅野の地名を生んだのではないかとも言われている。
大和町史 史跡 P.537-538