駅館川支流の深見川沿いに参道が走る。
宗像三女神が、育った場所と言われています。
古社です。
古代史跡もあり、不思議なエネルギーにあふれています。
スピ女に、おすすめします。
知る人ぞ、知る神社ですよ。
幼き頃、今は亡き母に連れられ何度か来た記憶が甦ります、この長い石段を幼い足で上り、由布岳を見て、母より 豊後富士って聞いたのを思い出しました。
駅館川支流の深見川沿いに参道が走る。
一の鳥居は安心院すっぽんセンター前に立ち、それより手前にあるのは神楽殿と御旅所。
今では一の鳥居と二の鳥居の間を新道の高架橋が横切るため、少々解りにくい。
安心院温泉センターかジョイフル・AZホテルの駐車場に止まり、新道を歩いて下るとやや遠いが、二の鳥居に出る。
宗像三女神を祀る三女(さんにょう)神社であるのに、二の鳥居は扁額を「二女神社」としている。
間違いという訳でもないらしい。
「鎮西彦山縁起」に曰く~此の三女神は日神之勅を奉じ宇佐嶋に降る、後に此の山に移りたまひき。
爰に大己貴神、更に田心姫命・瑞津姫命を娶り妃と為し、此の山の北嶺に鎮まり座す、因みて北山地主と称す也。
市杵嶋姫命、山之中層に鎮まり坐す也。
~「此の山」とは英彦山のこと、昔から繋がりがあったようだ。
今でも英彦山中岳の中津宮に宗像三女神を祀る。
さて、鳥居横の説明に拠ると、田心姫命・湍津姫命・市来島姫命すなわち宗像三女神を、筑紫水沼君が祀るという。
参道には横穴も見え、古墳群の一部であるらしい。
筑紫水沼君とは、筑後國三潴郡あたりの首長であったらしく。
日本書紀、神代紀の一書に曰く。
…卽ち以て日神が生める所の三女神は、葦原中國之宇佐嶋に隆居使はし。
今や海北道中に在り、號けて曰く道主貴。
此れ、筑紫水沼君等が祭神是也。
~名称は一致するけれど、筑紫水沼君の本拠地らしき赤司八幡宮は久留米市内にある。
安心院が筑後川水系ならまだしも、繋がりが不明。
筑後川上流の日田か玖珠から来たのなら、英彦山越えはしなくて済むだろうし。
「葦原(あしはら)中國(なかつくに)の宇佐嶋(うさしま)」は未確定。
宇佐神宮はシマを縄張りの意に取り、元宮の大元神社が坐す御許山としているようだ。
宗像の沖の島とする説もある。
赤司八幡宮は鎮座地としている。
境内東側に石の柱のようなものが刺さっている。
これが御神体であるらしい。
「三柱石三女神天降りの遺跡と伝えられ、地上に突出すること二メートル余り。
『古来これを穿て石根を見んと欲すれば、宇宙闇然風雨至り大地振動してその声、雷の如しという。
後人恐れて触るものなし』と言い伝えられる。
なほ三柱石は安心院七不思議の一とされている。
」日本書紀の上述箇所では「天降り」とはいわず、別の一書に曰く。
…乃ち以て日神が生む所の三女神、筑紫洲に降ら令め、…三柱石は今や傾き、うち一柱は樹木の陰で見えにくくなってはいるものの、結構な大きさ。
人工物のようにも見える。
支石墓か何か。
縄文時代のストーンサークルのようなものが一部見えているとしたら、発掘調査すれば何か出てきそうではある。
今では入れない大元神社奥宮も、こんな感じだったのだろうか?
名前 |
三女神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
歴史云々は置いといて、軽く散歩したり、落ち着ける、パワースポット的な場所です!