松坂城(まつさかじょう)は、日本の城。
何重にも折れ曲がった虎口では重層的で迫力のある石垣を見ることができます。
曲輪も広く、天守台以外にも多数の櫓跡があり、巨大な城塞だったことが想像できます。
昨今、評価の高まる蒲生氏郷公、昔見た独眼竜政宗ではショボい扱いであった記憶があります。
そんな氏郷公は織田信長公の秘蔵っ子だったようですね。
それもあってか秀吉公のことを主君とは思ってなかったのかもしれません。
彼は松阪城を三年で完成させ、ここを起点に街作りを行い、商業を活性化させたのですね。
結果、三井なんかが生まれたのは凄いことです。
こうした豪商の街が出来たことで大偉人本居宣長も誕生したのかもしれませんね。
松阪のシンボルであるお城を訪れ、思いをはせるのも一興かもしれません。
城跡なので天守はありません。
何重にも折れ曲がって進む石垣がとても迫力がありました!石垣好きにはおすすめです。
我が故郷、近江の出身蒲生氏郷公築城の松阪のシンボル的な城跡です正面からいきなりの高石垣に度肝を抜かれますがこの城は全体が恐ろしいほど堅固・豪壮な石垣で成り立っており津山城や熊本城のような要塞感が半端ないです。
藤堂高虎公といい、加藤清正公といい蒲生氏郷公といい近江の国で青春時代を過ごした名将達はなぜこのような築城モンスターに育ってしまうのでしょうか?ヤル気満々の枡形構造が随所に見られ攻められるものなら攻めてみよというレオン氏郷公の強烈なドSっ気をビシビシと感じました四方どこからも攻めようがございません自分が足軽で攻城命令が出たら逃げ出す自信があります。
城の四方とにかく見事な石垣の数々なので、とにかく現地で確かめていただきたいです。
ベースは穴太衆による野面積みですが増築されたであろう石垣の打込みハギや見事な算木積みなど様々な石垣が楽しめます。
城や櫓が現存しておれば、さぞ見事な威容だったのでしょうが石垣だけでも十分に楽しませていただきました。
このような名城跡のおひざ元で働いておられる松阪市の職員の方がうらやましくてなりません。
桜や藤の木、カエデなど様々な木が植わっているので季節ごとに変わった姿をみせてくれるのでしょう。
天守閣はありませんが、城跡かーとあなどらずぜひ攻城ください。
三重県内ではあるが、和歌山(紀伊)藩南伊勢領で、代官(城代)がおかれていたそうです。
城郭全体が、高石垣でおおわれた平山城でとても見応えがあり、お見事の一言です。
全国屈指の城郭であり、戦国ロマンをひしひしと感じます。
駐車場は、市役所の駐車場が便利ですね。
ちょうど手摺の工事中🚧に訪問しました。
賛否両論ありますが、個人的にはいただけませんね。
来訪時は、じっくり、ゆっくり🐌💨💨と登城して下さい。
本丸は城郭の最頂部にあります。
上下2段に分かれており、三層からなる天守がありました。
天守と隣り合うように敵見櫓、対角の東角に金の間櫓があり、それぞれの櫓の間には多聞(たもん)が巡らされつながっていました。
このような天守と二基以上の櫓が連結している構造は「連立式天守」と呼ばれるもので、防備の上で最も厳重な構造を採用していました。
多聞とは、城郭の防備のため石垣の端いっぱいに建てられるもので、多聞櫓や渡り櫓ともいいます。
本丸下段には、南に太鼓櫓、東に月見櫓、北に遠見櫓を構え、同じように多聞で連結されていました。
二ノ丸へ通じる大手筋には表ニノ門跡、搦手筋には裏ニノ門跡があります。
2022年に訪問。
車で訪問しましたが、駐車場は城公園敷地内にある、本居宣長歴史館前に停めました。
(駐車場は7〜8台程度までなら停められそうです。
あまり広くありません。
)城跡公園内はかなり整備されています。
歩道は舗装されており、天守跡までの移動もそれほどキツくはありません。
天守跡から見える街並みは爽快です👍一部柵が無いのでギリギリを攻めるのは注意が必要⚠️一通り見て回って30〜40分程度かと思います。
蒲生氏郷のノボリが印象的でした✨
松坂城跡に寄り、天正16年(1588年)に蒲生氏郷によって築城された平山城ですが、かつてここに天守閣がありました。
今も残る野づら積等の豪壮な石垣は、松阪のシンボルです。
城跡からは城下町の面影を残す町並みを拝めます。
関東には石垣を使った城が殆どないので、石垣の規模や美しさに驚かされます。
御殿のあった場所に石などで位置を示してくれていたので、建物を想像する事ができた。
桜の開花の頃だけということだそうだが、夜には石垣に蒲生氏郷の家紋が石垣に映写されていた。
日本100名城No.48蒲生氏郷が縄張した石垣の城です。
松阪城は四五百森の丘陵上に、築城巧者の蒲生氏郷によって築かれました。
氏郷が会津に移ると、服部一忠、古田重勝が入城。
城は古田重勝の時代に改修されほぼ今日の姿になったと考えられており、織豊系城郭として注目されています。
三重の天守があった本丸と二の丸は、折をした石垣を積み上げて、要所に枡形虎口を配した堅固な構造をもちます。
天守は江戸前期に倒壊してすでにないですが、意識的に屈折させ、雛壇のように並ぶ石垣がみどころです。
松阪の素晴らしい城跡です✨
二回目の訪問です。
松坂市中心部の城跡公園です。
結構きれいに整備されている。
所々、改修工事中です。
公衆トイレは大変に綺麗でした、もちろん、城跡などで、眺めが素晴らしいです。
石垣の淵を歩けるので、360度から眺めが素晴らしい。
周辺も、官庁が集中しています。
大きな病院も有りました。
近隣の市営駐車場は無料。
駐車場は松阪城のすぐ下にあります。
素晴らしい、石垣は残っており、松阪の町並みを一望できる。
松阪市立歴史民俗資料(2階 小津安二郎松阪記念館)や本居宣長記念館や御城番屋敷も公園内にあります。
徒歩圏内で見どころ多い。
しっかりと石垣も復元してあり、見ごたえがあります。
結構な高低差があります。
散歩すると意外とハードかもしれません。
数十年以来の松阪城跡‼️城がなくて寂しいですが、松坂の街並みを高い所から見渡して参りました。
城の関係者から蒲生氏郷の偉大さを伺い大変勉強になりました。
松坂の礎を築いた偉大な人なんだと理解しました。
立派な石垣と朝早く出掛けたお陰で88歳の小野さんという翁に松阪城のお話聞かせていただきましたよ。
蒲生氏郷公の銅像建てられるといいですね!頑張ってください!
松阪市のシンボル。
観光スポットというよりも、地元の方々の憩いの場になっているようです。
城壁は囲いなどなく際まで行くと足がすくみますが、見晴らしは素晴らしいものがありました。
名城100選の48番築城は蒲生氏郷。
時間をかけてのんびり回ることをお勧めする城。
立体的な石垣の折り重なりは眼福。
本当に1年程度で作り上げたのかと疑いたい城である。
名城スタンプは城内で二か所、歴史民俗資料館(臨時休業が多そう)か本居宣長記念館の入口にあります。
あとは、駅前の観光案内所(?)にもあるみたいです。
松阪駅から15分ほどと近い場所にあったので寄りました。
今まで行ったことのある城跡と比較しても最上部までの高さが高いので、疲れたりしてる時には避けた方がいいと思います。
本陣や天守閣付近では松阪市を一望出来る景色の良さがオススメです。
現在資料館はリニューアル中で見る事は出来ないので、4月以降になってからの方が城や歴史を楽しむ事が出来ます。
1つ注意点があるとすればトイレ位置が分かりづらいのと和式のみ洋式のみで設置されてますので、訪れる前に手洗いに行く方が安心して楽しむ事が出来ます。
丘陵に築かれ堅固な石垣が見所です。
石垣が立派。
よく整備されている。
松坂城(まつさかじょう)は、日本の城。
現在は松阪城とも表記される。
所在地は三重県松阪市殿町。
城跡は松坂城跡(まつさかじょうあと)として国の史跡に指定されている。
城の縄張りは梯郭式平山城である。
松阪市の中心地の北部に位置する。
阪内川が城北を流れ天然の堀となっている。
江戸時代初期には松坂藩の居城となっていたが、廃藩後は御三家紀州藩の南伊勢国内17万9千石を統括するために城代が置かれた。
城内の建築物は1877年(明治10年)の失火と1881年(明治14年)までの破却によって失われ4,、現地には石垣のみが残っており、城址公園となっている。
(公園名は「松阪公園」。
)周囲には松阪市役所、市民病院、当地出身の本居宣長記念館などがある。
松阪は梶井基次郎の短編小説『城のある町にて』の舞台であるため、二の丸跡に文学碑が建てられている。
この文学碑は1974年(昭和49年)8月に建立された6,。
三の丸跡地は明治以降に開発され、三重県立松阪工業高等学校、松阪市立殿町中学校、松阪市民病院などになっている。
催事として、毎年4月上旬に「宣長まつり」、11月3日に「氏郷まつり」が開かれる。
これだけ綺麗に石垣が残っているのは素敵です。
人も少ないのでのんびり散策出来ました。
変に天守閣を再建してないのもいいですね。
小高い丘を利用した城跡石垣しか残されていないけど、通路は枡形といいますか、複雑にジグザグしていて、天守があった頃の雰囲気を味わえる、なかなか素敵な城跡です近くに無料駐車場もあり、また近くには江戸時代からの御城番屋敷も残されているので、他の地域の再建の鉄筋コンクリートのお城よりもとても満足できました。
戦国武将 蒲生氏郷が築いた城です。
城址に建築物は残っていませんが、石垣が良好に保存されており、もっと注目されていいと思います。
また御城番屋敷は一部公開されており見学出来ますが、それ以外は居住されており現役で利用されています。
鳥羽に泊まりにいく途中初めて訪問しました。
松阪では一番の観光地のようですね。
ちょうど桜が満開の時期で松阪城跡のあちこちにきれいに咲いていました。
屋台も2軒ほどですが出ていました。
建物は残っていませんが立派な石垣がたくさん残っていて当時の様子を想像できます。
見晴らしも良く市内が一望できます。
本居宣長の居宅や本居宣長記念館も近く歩いて行けます。
桜の時期に訪問。
駐車場混みまくりでした。
でも桜は満開で綺麗でした。
2018 年3月13日、久々の訪問。
きたい丸の梅林が目当てです。
出遅れたかなと思いましたが半分以上蕾で早すぎるぐらいでした。
平日にしてはざわざわしていて何かと思ったらロケ隊が撮影していました。
いかつい衣装とメイクの役者さんが沢山いて「次ヤマンバさんお願いします!」とか聞こえてきて多分戦隊ヒーロー系だと思いますが、あまり詳しくない。
確かにアクションの舞台として申し分ない場所です。
2018.3.18 梅が綺麗に咲いていました。
石垣がほぼ残っています。
野面積み、打ち込み接ぎ、切り込み接ぎがあります。
小さい頃からの憩いの場所です!夜一人では寂しく怖く感じますけど夜景が好きです!(^-^)
日本百名城No.48 蒲生氏郷が縄張した石垣の城・松阪城!天守台のみ残っており石垣群が見事です。
本居宣長記念館・御城番屋敷もすぐ近くにあります。
松阪城は四五百森の丘陵上に蒲生氏郷によって築かれました。
織豊系城郭としても注目されています。
アクセスは松阪駅から徒歩15分です!登城日:2017.4.6(一回目)
100名城。
蒲生氏郷が近江日野から伊勢12万3千石を与えられ松ヶ島城に入城。
しかし、海に面した地に発展性の限界を感じ四五百森(よいほのもり)に新たに築城、これが今の松阪城となります。
蒲生氏郷が会津に転封した後は服部、古田と城主を替え、伊勢南部が紀州徳川家の所領になった際に当地を治める拠点として松阪城に城代が置かれ明治まで続きます。
野面積みの高石垣か見事です。
紀州徳川時代に改修されてるので打ち込み接ぎや切り込み接ぎの石垣も堪能出来ます。
手が回らないのか、石垣に草木が生い茂っており見栄えにやや難ありなのが残念です( ´△`)
天守は残っていないが、石垣と御城番屋敷を楽しむことができる。
怖い誰かにかたたたかれた死にかけた景色は、綺麗行ってみて松阪遺跡崖も怖かった。
御城番屋敷を上から見下ろすこともできるし、松阪市街地を一望できる。
春には桜を楽しめる。
大きな松の木がたくさん植えてあり、雰囲気がある。
唯一、天守がないのが残念なところ。
他のかたも言ってるとおり石垣が魅力。
石垣のかたちによって年代が違うらしい。
上から見る景色も良い。
名前 |
松坂城跡(松阪公園) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0598-23-7771 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/kanko/matsusakajoato.html |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

なかなかに広い石垣が広がっています。
色んなところに歩いて行けますが、柵などはないので、石垣から落ちないように気をつけてください。
めちゃくちゃ高いです。
紅葉を見に行きました。
強風でかなり銀杏は落ちてましたが、紅葉はまだ緑とのグラデーションもあり、楽しめると思います。