御朱印貰うのは社務所開いてるこの時期?
闇無濱神社(龍王宮) / / .
海の近くに鎮座し、立派な松の並木がある神社です。
御祭神は豊日別国魂命で、国生みで作られた筑紫島(九州)の二つ目の顔の名前であり、豊前豊後の開拓神であり、猿田彦とも同一視される神様です。
九州に密着した神様ですね。
境内の手前に堤防があり、階段がいくつかついています。
そこを登ると夕日が落ちて美しい景色が広がっていました。
この太陽の反対側に神社があり、その奥に境内が。
御神鏡にちょうど当たる日もあるのかも?!祝詞にしか出てこない、瀬織津姫(セオリツヒメ)をお祀りされています。
以前は豊日別神社(とよひわけ)と呼ばれていたそう。
「ぶんごや」にから揚げを買いに寄った時にナビで発見し行ってみました。
全体が長い台形の変わった形の境内に、大きな本殿が構えています。
本殿と両側の宮が外周ぐるりと塀で囲まれた、このサイズの神社ではあまり見ない形状が印象的でした。
古くは「豐日別宮」、「豐日別國魂神社」、また「龍王宮」と称され、現在地より南の中津川河口、中の御崎の丸山(現:中津城址)に鎮座していたが、建武元年(1334)丸山城(中津城)築城により建武元年現在地の闇無濱に遷宮され、明治5年に闇無濱神社に改称された。
第十代崇神天皇の御代 豊日別国魂神・瀬織津姫神第十二代景行天皇の御代 海津見神・武甕槌神・経津主神・天児屋根神・別雷神第九十九代後醍醐天皇の御代 祇園神鎮座。
福岡県の吉富町と大分県中津市を隔てる山国川、の支流である中津川の河口近くに鎮座。
元は砂浜だったのか、砂地の境内。
なるほど湊の神か。
と思ったら、今の中津城内に坐したのを遷したらしい。
駐車場は右手の隘路を進んだ先にある。
鳥居横には猿田彦大神が鎮座。
高低差のない参道の両脇に松並木、緑のトンネルのよう。
小さな池に万葉歌碑「吾妹子が 赤裳ひづちて 植えし田を 刈りて蔵めむ 倉無(くらなし)の浜」倉も無いほど貧乏、と誤読されたこともあるらしい。
くらなしの地名を掛けた、倉が足りないほどの豊作を願う歌であろう。
闇無濱(くらなしはま)神社 (旧社号 豊日別(とよひわけ)宮)とある。
豊日別宮なら、同名の社が行橋市にもあった。
御祭神を当社では豊日別国魂神、行橋では豐日別命と称する、おそらくは同じ神。
豊日別命は英彦山の高住社に祀る豊國の神で、彦山豊前坊とも猿田彦大神ともいう。
高木神とも見られる。
古事記に曰く。
(伊邪那岐命と伊邪那美命が、隱伎之三子嶋の)次に筑紫嶋を生む。
此の嶋も亦、身は一にして四の面有り。
面の毎に名有り、故、筑紫國を白日別と謂ひ、豐國を豐日別と謂ひ、肥國を建日向日豐クシヒネ別と謂ひ、熊ソ國を建日別と謂ふ。
いま一柱、瀬織津姫神を祀る。
大祓祝詞に曰く。
…遺る罪は在らじと。
祓へ給ひ清め給ふ事を。
高山の末。
低山の末より。
佐久那太早川の瀬に坐す。
瀬織津比売と伝ふ神。
大海原に持出でなむ。
…この神は記紀になく、仲哀紀に唯一現れる撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命と目される。
古事記では当該ヶ所で「是、天照大神之御心者」と言っているので、天照大神とも。
しかし当社は龍王宮とも呼んだらしく、同じ神を祀る宮崎県西都市の速川神社に竜蛇神をも祀るのと整合する。
日神というよりは水神、但し水門の神は速秋津比売といって別に御座すので、上流側から遷ってみえたものか。
豊日別国魂神と並べて祀る以上、ご夫婦かご兄弟か親子か、何らかの関係にあったと考えられているのであろう。
霊烏石というものが境内にあるというので探したけれど、神殿に隠されているのか見当たらなかった。
毎年、中津祇園祭奉納山車があります。
期間中は人が多いですが、祭りが終われば人は少ないです。
駐車場がありません。
期間中はここに行くまでは歩行者道路になります。
出店は少ないです。
名前 |
闇無濱神社(龍王宮) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0979-25-1727 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
正面入り口に闇無浜神社と書かれた石の柱があり、その右の小道を行くと専用駐車場があります。
お祭りの時はもちろん人でごった返しますが、お祭りの少し前からお囃子の練習などで人が多くなりますから、じっくりお参りするなら春秋冬が良いと思います。
シーズンオフはほとんど人も来ず、静かで落ち着きます。
入り口から本殿にかけて立派な大きい松の木が並んでおり、子供と松ぼっくり拾いをするのが楽しいです。
中津城の神社にもあるのですが、敷地のはじの方に大きな銃弾のような置物があり、由来が気になっています。