御祭神:下御井鎮守神創建は不明です。
外宮で毎日欠かさず行われる日毎朝夕大御饌祭。
その御水を頂く上御井神社のバックアップでもある社。
水神を祀る神社特有の素晴らしい空気がある。
下御井(しものみい)神社。
御祭神:下御井鎮守神創建は不明です。
ですが、延暦23年(804)成立の止由気宮儀式帳という書物には「御井」や「御井神」という語句が記載されています。
もしかすると、延暦23年以前には既に祀られていたのかもしれません。
当社は豊受大神宮(外宮)所管社で、御祭神の下御井鎮守神は水神と伝えられています。
上御井神社と同様、外宮の御料水の守護神、御料水を汲み上げる井戸の守護神として崇敬されています。
拝:2020/08/07伊勢神宮125社(66/125)
この神社には、多賀宮にお詣りして階段を降りてきて、そのままお参りしています。
分かりづらく、呼ばれないと辿り着けない感がイイそれが、この場所を喧騒から守っていて厳かな印象を与えてくれる。
毎日来ているという地元の方が手を当てて頭を下げていた杉の大樹が手前右に立っていて、この場所の守り神の様な気がしました。
この場所には何故か惹かれてしまう。
順路から外れており気付きにくく参拝者も大変少ないです。
下御井神社は、別名「少宮(わかみや)」とも呼称するそうです。
土宮の横から側道が延びています。
伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)の所管社でもあり、外宮4社の内、第4位の社格を誇るお社です。
しかし、下御井神社へ訪れて分かりますが、下御井神社のお社は、井戸の上に築かれた大変小さな規模のお社となります。
一見すると本当にお社かどうか迷ってしまいますが、立派な垣根が周囲に張り巡らされており、その垣根の前には「お賽銭箱」も設置されていますので、列記とした神宮125社の1社であります。
伊勢神宮の所管社には、基本的に「お賽銭箱」が設置されていないことがほとんどで、理由は不明なのですが、なぜか、下御井神社には、お賽銭箱が設置されています。
下御井神社の御祭神である「下御井鎮守神」は、お社の下の井戸水にお宿りになっておられます。
この井戸の水は、外宮のお宮に捧げらる御料水を汲むためや、「神饌(神様に捧げる料理)」を調理するために使用される大切な清水です。
明治時代までは、すぐ近くの多賀宮の「忌火屋殿(いみびやでん)」として使用されていた歴史をもっています。
しかし、明治時代に差し掛かると「多賀宮の忌火屋殿」が廃止されて、予備の井戸と言う位置づけになりました。
その後、現在ように井戸の上に「小さな社殿」を造営し、垣根を設け、井戸の御水にお宿りした「下御井鎮守神」をお祀りしています。
一説によると、この神様は別名を持っており「水分神(天水分神・あめの みくまりのかみ)」とも呼称されるようです。
そして、この神様をお祀りする神社として日本中に点在する「水天宮(すいてんぐう)」があります。
外宮においては、下御井神社近くにある「上御井神社の御神水」が先に使用され、毎日の「日別朝夕大御饌祭」の御饌(神饌)を調理する際の御水として、おおよそ桶1杯分の御水が汲み出され使用されているそうです。
つまり、上御井神社の水が枯渇すれば、下御井神社の井戸の御水が使用されます。
この上御井神社の御水は、元旦(正月)の「歳旦祭」の時に使用される「若水」としても使用されています。
物理的な説では、宮川下の「砂れき層(砂や小石の層)」が、水を浄化しており、天然の「ろ過」を実現しているようです。
つまり、本当にキレイな御神水と呼ぶに相応しい御水であると言えます。
下御井神社の井戸水の水源は、下御井神社のさらに奥の伊勢の山嶺から流れくる「地下水脈」の御水と言われているようです。
例年、10月には下御井神社にて、「神嘗祭(かんなめさい)」が執り行われています。
ちょっと素通りしてしまう、冷たい清水が流れています。
そうですね。
投稿されている方が書き込んでいるように、私も素通りしてしまいました。
次回の参拝の課題となりました。
小さな社です。
井戸を守る神様が祀ってあります。
もうすこし、あることをわかりやすくしてほしいです?けっこう素通りしやすいです。
名前 |
下御井神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0596-24-1111 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.sengukan.jp/wp-content/themes/sengukan/shrine/area06.php#prettyPhoto[iframe]/27/ |
評価 |
4.5 |
考察こちらは、下御井神社ですが、外宮には、上御井神社(別名 忍穂井神社)(忍穂耳様の生まれた神社)という神社があります。
そちらの神社には、一般人は、参拝できないように札が立ててあります。
場所は、外宮正殿の西側250㍍にある藤岡山の麓です。
住所は、伊勢市山田です。
その場所は、嘗ての高天原でした。
イサワノミヤと言って、今の名残は、伊雑宮ですが、イサワノミヤというのは、伊勢志摩の海側にもあり、漢字で、伊射波神社(イサワ神社)もあります。
外宮の住所は、伊勢市山田です。
嘗て日本政府の転覆するような、大内乱がありました。
ハタレ内乱です。
この元凶は、イサワノミヤの宮に住むアマテルカミ様の妃13人の内の北陸出身のモチコ様とハヤコ様でした。
この二人を「ヤマダのオロチ」(山田の大蛇)た喩えたのです。
さて、オシホイカミというのは、第9代アマカミのホシホミミ様のことです。
オシホミミ様とは、別名 箱根神(箱根神社の本来の隠された神)、太郎坊と言われています。
諱は、オシヒト様です。
そして、アスカホノアカリ様とニニギノミコト様の父親です。
イサナキ様とイサナミ様の孫であり、2代目オオヤマスミのサクラウチ様とカモサワヒメ様の孫でもあります。
つまり、父親と母親は、第8代アマカミのアマテルカミ様(天照大神様)とセオリツヒメ様(ホノコ様、ムカツヒメ様)と言うことです。
何故ならば、外宮境内(敷地)に、この神社があるのかと言うと、オシホミミ様は、この場所で誕生されたからです。
この場所は、今でこそ外宮境内となっていますが、かつては、アマテルカミ様の妃達13人が暮らしていた御宮だったと言うことです。
今の伊勢の神宮は、大改造された神宮なのです。
伊勢志摩の磯部に伊雑宮(イサワノミヤ)がありますが、あの場所は、ほんの一部です。
イサワノミヤは、本来の政治を司る高天原なのですから、物凄いデカイものだったはずです。
そのイサワノミヤの建築デザインや指揮は、アマテルカミ様の実姉であるヒルコ様(ワカヒメ様)の夫であるオモイカネ様(アチヒコ様)が担当されたのですから。
オモイカネ様は、アマテルカミ様誕生の時に臍の緒を恵那山に埋めた方です。
恵那山には、恵那神社があり、アマテルカミ様が産まれたときに体を洗った池の跡地があります。
アマテルカミ様を取り上げたのは、イサナキ様の姉であるシラヤマヒメ様(白山姫様)です。
話を戻しますと、この神社の代わりになっているのが、下御井神社です。
下御井神社も外宮境内にあり、こちらは、参拝できます。
場所は、多賀宮の階段を上がる前に直進した場所です。
何故、多賀宮の近くにあるのかと言うと、オシホミミ様は、父親のアマテルカミ様もそうでしたが、トヨケカミ様(豊受大神様)を大変尊敬されていました。
帝王学を学び、この国の建国の祖神であるクニノトコタチ様の教えを受けていたのです。
ですから、トヨケカミ様の統括地のヒタカミ国の仙台多賀城あたりにアマテルカミ様とオシホミミ様は、一時的に留学されていたのです。
琵琶湖の多賀大社は、そんな謂れの大社です。
オシホミミ様は、琵琶湖から仙台多賀城(塩釜)に都を遷都されたのです。
ですから、シホツボがあるのです。
ツボとは、古代の都の跡を示すものです。
伊勢の神宮を参拝する時の順番に外宮からするように倣っています。
その順番は、内宮のアマテルカミ様が、外宮のトヨケカミ様を尊敬されていたから他ならないからなのです。
また、トヨケカミ様は、アマテルカミ様の母親イサナミ様の父親でもありますからね。
トヨケカミ様を尊敬する上御井神社祭神のオシホミミ様です。
By ロックベル。