高台院が慶長4年(1599)に再建。
紅葉🍁の撮影と6月頃に訪れた際、雌の孔雀に全く相手にされず踊り続ける健気で美しい雄の求愛ダンスを見るべく訪れました。
木々の葉が落ちると同じ様に孔雀の羽根が抜け落ち少し寂しげな様子でしたがやはり雄の容姿は美しく癒やされます。
綺麗に色付いた紅葉や木々の葉、少し枯れ始めているのか多くの落ち葉も🍂も見受けられました。
温暖化の影響か良いタイミングの紅葉に出逢うのが難しくなった様な気がします。
日が当たり過ぎていなところのオレンジ色のもモミジ🍁はすごく綺麗でした。
もう一週間早ければ綺麗な紅葉が鑑賞出来たかもしれませんね。
三井寺の金堂で、古い時代の仏さまがたくさん安置されています(‐人‐)
三井寺金堂は北政所が慶長4年(1599)に再建したそうで、入母屋造り桧皮葺きの建築です。
御本尊は弥勒菩薩だそうです。
平成30年4月に金堂内陣を特別拝観させていただきました。
御本尊は秘仏ですので拝観出来ません。
国宝!豊臣秀吉の正室北政所が1599年に再建。
使われている柱の木材の太さに感動します。
本尊の秘仏は見たことある人がいないくらいの秘仏とか。
古文書によると頭部が欠損していると書かれているらしい…(^_^;)諸説あります。
大寺院の風格が感じられます。
いや、素晴らしい。
(2019_12_12)
天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われた霊泉があり、「御井の寺」と呼ばれていたことから、三井寺とも呼ばれる園城寺の総本堂です。
堂内は厳かな雰囲気で、ご本尊の弥勒菩薩様は絶対の秘仏とされているそうです。
裏堂にも仏様が安置されていて、堂内をぐるりと巡る事が出来ます。
本堂裏に授与所が併設されています。
令和元年6月23日参拝金堂付近の御朱印所にて御朱印拝受しました。
素晴らしい。
以下、websiteより天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。
滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。
また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。
667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。
壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。
三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。
貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。
この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。
その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。
三井寺の本堂、金堂には、本尊として弥勒菩薩(みろくぼさつ)が祀られています。
「寺門伝記補録」によると、身丈三寸二分の弥勒菩薩が祀られていることがわかりますが、 絶対の秘仏となっているために見る事ができません。
この弥勒菩薩は天智天皇の御念持仏と伝えられています。
さらに、推古天皇、聖武天皇、陽成天皇、藤原鎌足、藤原道長、行基菩薩が奉納した 六躯もの弥勒菩薩がお祀りされています。
その他にも智証大師ゆかりの仏像や宝物が秘仏として大切に安置されています。
西国三十三所観音霊場巡礼の第十四番目の礼所である観音堂がよく知られています。
その他にも「近江西国観音霊場・第五番札所(観音堂)」、 「湖国十一面観音霊場・第一番札所(微妙寺)」、 「西国薬師霊場・第四十八番札所(水観寺)」として多くの信仰をあつめています。
豪壮にして圧巻の金堂は、1599年に北政所が建立。
安土桃山時代ならではの大きなスケール感の迫力で、どの角度から見ても重厚で美しい。
内部も格天井の外陣を広く取った広々とした造り。
内陣の裏側に平安時代以降江戸時代まで三井寺に伝わる数々の仏像を安置し拝観できる。
三井寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、高台院が慶長4年(1599)に再建。
名前 |
金堂 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
077-522-2238 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
三井寺の本堂、ご本尊は秘仏の弥勒仏、天智天皇の念持仏とされる。
堂内はぐるっと回る形で諸仏がお祀りされていました。