馬見岡綿向神社の参道沿いにある、松の森。
蒲生氏の氏神である、馬見岡綿向神社の参道沿いにある、松の森。
日野城主であった蒲生氏郷公は、幼少の頃、この辺りでよく遊んでいたそうです。
後に伊勢松坂城主となりますが、その「松」の字は、ここ若松の森から取ったとも言われています。
また、さらに後に会津若松城主となったときも、元々「黒川城」と呼ばれていた城を大幅に改築(七層の天守閣)し、「若松城」と名付けました。
この名もここ、若松の森から取ったとされています。
---------------------------------------------伝 若松(わかまつ)の森(もり)趾天正十八年、蒲生氏郷が会津黒川城主に封じられた時黒川の名を故郷日野城の近くにあった若松の森の名にちなんで、会津黒川を会津若松の名将に改めたと伝えられる。
その若松の森とは、ここ綿向神社の参道を覆っていた森であったという。
古書によれば、江戸時代の中期に多くの松が枯れ、伐り除かれて人家が建ったと書かれている。
現在の松樹は名将氏郷が遠く会津の地より故郷を懐かしんだ名残りの松である。
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名前 |
若松の森址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
会津若松市や松坂市の元ネタ。
蒲生氏郷が会津へ入封した際、元の地名黒川から故郷の松に因んで若松へ改名した。