桜が映えて凄く綺麗だった入城料大人100円小人50...
Ꮲがわからず、違う所に止めて行ったら、入り口に看板があった^^;道路にも是非、水口城Ꮲ看板を!!時間外だったので、入れませんでしたが、橋(立入禁止)を渡ってみたかったなー。
堀周辺を散策していたら、裏手に【水口城資料館】入り口がありました。
お堀一周はできません。
行き止まりでした。
梅雨真っ最中で、紫陽花が咲いていました。
桜の季節がキレイだと思います。
🌸を観に行きました。
城内へ渡る橋は工事中で入れませんでしたが、お堀周辺を、散策しながらゆっくり出来ました。
学校や住宅街の中にあり、敷地内にも学校のグラウンドがあります。
再建された建物で内部は資料館になっています。
訪問した際は橋が老朽化の為、通れなくなっており学校のグラウンド側から回って入りました。
水口城資料館の入場料は200円です。
水口城の御城印もこちらで購入出来ます水口歴史民俗資料館との共通券は 300円でした。
水口歴史民俗資料館は歩いて行ける距離ですので、お時間があれば共通券の方がオススメです。
あらま。
見た目城跡、いい感じに、見えるのだけれど、出丸だけで、コンパクトに、なったのね。
この橋渡るべからず、急がば回れ。
天守に観まごお、乾矢倉の改築資料館に、満足。
安心価格に、朝一だったので、話し好きの受付のおねいさんと、会話。
あとで、行く、岡山城の行き方、駐車場も教えてもらった。
本丸堀沿い、ぐるり一周、まわれます。
旧本丸は、ほぼ、グラウンド、高校生達よ、練習がんばれ。
挨拶ありがと。
出丸部分が石垣で囲まれ天守風の資料館がある近隣の城跡についての説明があり最初に訪ねておきたい本丸は野球グラウンドとなつているが周囲は水堀に囲まれているので散歩するのに快適だった乾櫓台周辺は石垣で囲まれており見所となっている。
石垣は出丸部分と乾御矢倉部分を残し、本丸御殿は一部を残して撤去され、旧本丸は学校敷地となり、現運動場となっている。
水堀埋め立てなどの意見も出された様ですが、将軍家宿館遺跡としての価値が評価され、滋賀県の史跡に指定、保存整備の関心が高まった。
石垣の遺構が残る出丸跡を整備修復し、廃城後に民家へ移築されていた本丸乾矢倉を二階造りとして再移築し開館。
なので資料館は、木造2階建の復興二重櫓です。
中に入ると木造の柱がなかなか見応えが有り、小さいながら資料も充実しています。
入館料は200円と良心価格なので、是非是非ご入館下さいませ。
雰囲気の良い城跡です。
濠も空壕ではなく水をたたえ通行は禁止ですが橋も良い味わいを出しています。
東海道の要所で軍事的目的だと思っていましたが、ここに関しては将軍家光の宿館で京都二条城をモデルとした、おそらくは豪華絢爛な館であったことに驚きました。
周辺は交通量が若干多い幹線道路と住宅がありますが、堀周辺は桜が植えられているので花の季節も良いでしょうね。
真田戦記水口城滋賀県甲賀市水口町本丸4−80昨年の暮れに行って来ました。
水口には水口岡山城がありましたが、廃城となり江戸期に入り徳川家光の上洛の際の館として築かせたのが最初です。
作事奉行は小堀遠州。
1682年に加藤氏が2万石で入り水口藩となります。
本丸御殿は家光上洛以後使われることなく解体、明治維新の後、城郭は解体、旧本丸は学校敷地となり、隣接の水口高校のグラウンドになっています。
『お城EXPOin甲賀』の流れで見学に。
濠と石垣の一部が残っていて、資料館が角櫓として建っています。
資料館は靴を脱いで上がる方式で、内部は木造りになっています。
お城があって、濠もある街はやはりいいですね、それだけで趣があります。
行くなら春です。
桜が堀に映えます。
周辺地域より見頃が遅め。
運が良ければカワセミ等の野鳥にも会えます。
人がほとんどいないので、思う存分桜の写真が撮れます。
元々は家康が上洛する際に立ち寄る用に新しくした城でしたが、家光が一度来たくらいの勿体ない施設。
その為にその後は加藤嘉明の孫がこの施設を守る為に入城。
しかし、守る為なので本丸側にはほぼ行かず状態だったそうです。
現在は本丸側の施設は学校のグランドになってます。
資料館として出城部分に櫓を移築して作られています。
入城料は100円、水口城南駅にある歴史資料館とセットで200円でした。
一部城域の水堀が埋められて原形が失くなってますが、過去の遺構の雰囲気が残っていて、想像以上に良かったです。
・駐車場……「水口中央公民館」の裏手に広い駐車場が利用可能、現在は遺構ありませんが「水口城二の丸跡」に駐車🚙・徒歩……水口城址の「御成橋」まで約3分、御成橋の奥はグランドで行き止まり😰・築城……1634年/寛永11年、作事奉行/小堀遠州(大名であり名作庭家、現二条城の庭も作庭)、3代将軍/徳川家光の上洛のために新築、別称「水口御茶屋」、結局この1回しか使用されず、何と1回のため😲・構造……本丸と二の丸(本丸北側)の二郭の縄張、本丸だけ水堀で囲われ、二の丸は土塀や柵などで境界、本丸は正方形で東西南北の四隅に平櫓の御矢倉が建っていたんですね🤔・現在……大手外枡形虎口部分と乾(北西)櫓台下だけ石垣が現存、資料館は廃城令時に民間に売却された平櫓の乾櫓を2階造りに改築移設、雰囲気を醸し出しています。
水堀が約9割残っていて東~南~西~北の駐車場まで周囲をぐるっと歩くと大きさなど実感、中々、面白いので散策してみて下さい🚶城の石垣を近江鉄道の敷設工事に使用したとは時代ですね。
・江戸時代その後……~1682年まで「番城」で幕府管理、1682年に2万石で加藤嘉明の孫/加藤明友~1695年に鳥居元忠の子孫/鳥居忠英(名君/2万5千石)~1712年に加藤明友の孫/加藤嘉矩(譜代格に格上げ/3万)入城し明治維新まで加藤家9代が続きました。
本丸は将軍家から預かっていると言う事で明治維新まで使用されなかったそうです、これも歴史ですね❗️・お願い……乾櫓台下の石垣に草木増殖、将来的に石垣が孕んで倒壊の可能性があるので、何とか今のうちに草木取り除いて欲しいです🥺
橋の老朽化のため暫く資料館に入れません。
訪ねられる時は確認ください。
木造の雰囲気のある橋なので早く直して欲しいです!
写真に写っている「水口城」は、本丸の外桝形だったのを訪問して知りました。
メインの本丸は高校のグラウンドになっており、入れないようです。
周辺を歩きましたが、夏のせいもあるのでしょうか、石垣にもかなり草が絡みついてました。
この辺りをもう少し整備してほしいものです。
駐車場は、隣の公民館駐車場を利用しました。
公園のように整備され、思いのほか見ごたえがあった。
加藤氏二万五千石の城。
元々は徳川家光の上洛時の宿として建てられたのが水口城で非常にコンパクト。
その後は使われず、後になって水口藩が成立するに至る。
明治になって石垣は近江鉄道の敷石になり、御殿は解体され、本丸は高校の運動場になった。
ただ、昭和後期から価値の見直しがあり、遺構の再整備がされている。
東海道の宿場町として栄えた勇姿を街に溶け込みながら語りてくれています。
近隣のお寺などとともに東海道の名残をみるとよいと思いました。
桜の季節が大変映える水口城。
堀や石垣は楽しめる。
展示等もありますが、全体的に規模感は小さい。
水口城は3代将軍徳川家光が寛永11年(1634)京都上洛の際の宿館として築城水口藩は甲賀・蒲生を中心に2万5千石を領有し、小藩ながら水口・日野など地方都市を治めました。
別名「碧水城」は、湧水を利用した堀に青い水をたたえていたことから、明友が命名街並みに溶けたお堀と御矢倉 桜はもう終わり頃でしたが残り花を風が散らして 癒されました。
規模は小さかったですが、観に行く価値はあったと思います。
お堀も再現されてて、写真撮るにはいい雰囲気でした。
駐車場はわかりにくいですね。
奇麗に桜は咲いてましたよ。
少し離れていますが矢川神社の花手水も奇麗です。
水口高校側からも、掘りと城の景色が楽しめます。
桜が映えて凄く綺麗だった🏯入城料大人100円小人50円とリーズナブル🎵資料もまずまずあって良かった🎵
満開の桜と水口城がマッチして綺麗、そして花筏がとても素敵でした。
駐車場は近くの公民館ということで停めましたが、お城が右にあるのか左にあるのか、どこにあるのか分からない。
それでマップを頼りに少し歩いて到着です。
城跡ということで何もないと思ってたら、お堀に城壁に城っぽい建物。
これだけで大満足です。
入館して中も拝見しましたがスタッフさんの対応が良かったですね。
中で紹介ビデオを見てよく分かりました。
信楽見学後の散策に最適。
『水口城跡』は、三代将軍徳川家光が上洛の際築かれ、水口藩加藤家の居城と成った県指定史跡と、資料に書いて有りました‼️現在は石垣の上に角櫓が復元され、内部は資料館に成って居ます🤗城跡と言っても、お堀・石垣・角櫓、そこに行く為の橋しかなく、2020/1/18(土曜日)に行ったのですが、観光客は誰も居なく貸切状態でした‼️日本各地には、こうした城跡はかなり在るのではと思います⁉️歴史に興味のある方のみの城跡に成ってる様です‼️
びっくりしました、水口にこんな史跡があるなんて知りませんでした。
休館日をチェックし忘れて資料館を観覧できずこれは再訪しないとかなぁw
お城好きなら行って損はない。
歴史がある場所です。
城跡はほぼグラウンドになっておりごく一部が資料館として整備されている。
資料館の櫓やら石垣は擬似再建であろうがお濠など雰囲気がよく残っており薄っすらとではあるが往時の雰囲気がわかる。
お濠の周りはよく整備されており周回しつつの散策は心地よい。
お濠の整備がもう少しキチンとなされたらより良い城跡公園になるのでは、と感じる。
総じて心地よい空間であった。
小ぶりながら、歴史を感じさせるいいところ。
名前 |
水口城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
水口城(みなくちじょう)を数年前に訪問👣致しました。
水口城は、1634年、三代将軍徳川家光の上洛に合わせて宿舎として使用する為に築かれたそうです。
作事奉行は小堀遠州、江戸幕府直轄で築城されました。
実際に将軍が宿泊したのは1回のみでそれ以外は城番により管理されていました。
1682年、加藤明友が2万石で水口城に入城し水口藩が成立しました。
その後、鳥居氏が城主となりますが、再び加藤氏の居城となり幕末をむかえました。
明治になり廃城となって後は、近江鉄道に石垣などが使われたそうです。
本丸跡は、現在水口高等学校のグラウンドとして利用され、出丸付近の石垣・櫓・門等が整備されています。
平成3年(1991)11月、御矢倉を模した水口城資料館が建設されそうです。
水口城資料館駐車場🅿️(無料)も完備されています。
是非とも、ご訪問👣下さい❗