名前 |
茶臼山古戦場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
茶臼山周辺は、大内輝弘自刃の地と言い伝わっています。
この地は大内氏が名実ともに滅び、毛利氏による新しい時代となった歴史の分岐点です。
永禄12年(1569年)豊後の大友氏に身を寄せていた大内輝弘は、大内氏再興を図り大友氏の水軍の力を借りて秋穂浦から山口に入りました。
しかし、毛利軍のまえに力及ばず茶臼山で果てました。
(北九州攻防に対する大友氏の毛利軍を分散される作戦であるといわれている)ここにある石祠には、正面に「大内菱の紋」を彫刻した笠石がのり、内部には「別當」と刻まれた自然石が祀られており、さらに石祠の奥壁に「大内霊神」と彫り込まれていることから、輝弘の石祠だと言い伝えられています。