素晴らしい石垣があります。
日比谷見附は寛永6年(1629)に桝形は仙台藩によって、左右の石垣は広島藩によって築造された。
「伊達治家記録」3月3日条によれば、名代として伊達安芸定宗、副役として茂庭周防良綱、諸役に片山伊勢成俊(成久)、新妻勘兵衛胤成らを任命している。
工期は3月から7月。
同時に数寄屋橋門桝形も築造しているから、かなりの突貫工事だったことがわかる。
ここから日比谷公園内をさらに進んで行くとすぐに「伊達政宗 終焉の地」の説明版がある。
政宗はこの普請から7年後の寛永13年にここ外桜田上屋敷跡で没している。
本当の日比谷門は交差点辺りです。
江戸時代、この場所は内堀がありました。
その名残で石垣が残されています。
(以下抜粋)門の名は、中世のこの地域に日比谷村があったことに由来します。
1614年(慶長19年)に熊本(現在の熊本県)落主加藤忠広によって石垣が築造され、1628年(花永5年)に仙台藩(現在の宮城県)伊達政宗によって門の石垣が構築されました。
石垣の上には、日比谷公園に向かってベンチが並んでて、まったりできます。
石垣の上から日比谷公園を歩いている人とそのうしろのビル群を眺めてました。
江戸城外郭城門の1つである日比谷御門跡。
石垣の一部が見事に遺構として残っています。
石垣上部にはベンチが多数あり憩いの場、心字池を見下ろす静かなスペースがあります。
都心なのか鳩は逃げず、池で休んでいたサギも逃げませんでした。
日比谷御門の一部の石垣が残っています(写真をUpしています)この石垣の先は、江戸時代の地図を見ますと、内山下堀と呼ばれているところとつながっていました。
この堀が現在の「心字池」になります。
石垣が大好きなので少し寄ってリラックスしました。
日比谷公園の一角。
池と緑地があってベンチがたくさんあります。
月曜の昼でしたが全く混んでない心地良さが良い。
皇居は道を渡ってすぐなので、日比谷ゴジラをみてここでまったりして皇居見物に行かれてはいかがでしょうか?
江戸城の内曲輪門のひとつ「江戸城日比谷見附跡」。
江戸城三十六見附のひとつに数えらている。
1627年(寛永4年)に安芸広島藩の藩主・浅野長晟によって石垣が、1629年(寛永6年)陸奥国仙台藩の藩主・伊達政宗によって枡形門が造られた。
日比谷公園が綺麗な長方形ではなく、北側の幅が広い形になっているのは、日比谷見附の石垣を残すためだったのかな?と思います。
知らないとただの石垣に見えますが、江戸城を警護する36見附の一つ、日比谷見附の跡なのです。
そもそも、日比とは漁のための竹を立て並べたもののこと。
江戸時代にはこの場所は入江だったわけです。
心字池とはこの入江を残したものだそうです。
今は、石垣だけ残っていますが、石垣の上にはベンチもあるので、のんびりと時間を過ごすには最適な場所ですね。
見附というのは、おもに城の外郭に設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って、主に36の見附があったそうです。
見附の中で、この日比谷御門だけが橋のない枡形門で、大名小路への出入り口でしたが、明治初期に撤去され、現在は石垣と塚跡が残っています。
城の外側から順に、高麗門・枡形・渡櫓・番所が石垣でかこまれていましたが、石垣の一部だけが、ここに残っています。
当時、石垣の西側は濠となっていました。
素晴らしい石垣があります。
昔の人はどうやってここまで石を整形したのか。
石垣の向きからどういう構造になってたのか考えると楽しくなります。
日比谷公園前の交番横から公園内に入るとすぐにあります。
しっかりと積み上げられた石垣は、当時の城の堅牢さを物語っているようですね。
見付とは、皆さん書かれている通り江戸城の見張り番となる軍事施設で36か所あり、赤坂見附などもその名残りとのことです。
少し歩くと土塁のうえに登ることができ、ベンチでゆったりと休息が取れます。
目の前にある池は、心字池といい、濠の一部を利用して作っているとのことです。
池を眺めていると心が和みます。
有楽門から日比谷公園へ入ると、直ぐに、「日比谷見附跡」の石垣が見えてくる。
この辺りは、江戸時代初め、日比谷入江と呼ばれた浅い海だったところ。
日比谷見附は、「江戸城三十六見附」の一つで、唯一、橋の無い枡形門になる。
日比谷御門は、明治初期に撤去され、現在は石垣のみが残っている。
江戸城36見附の一つ。
日比谷公園の北東で江戸城からかなり至近距離に位置し、外敵を防ぐという観点からはまさに「最後の砦」の役割を果たしたであろう見附の一つ。
分からない人は単なる石垣だと思い通り過ぎるだけだろう。
名前 |
日比谷見附跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3501-6428 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
江戸城外郭城門のひとつ、日比谷御門(ごもん)の一部。
皇居エリアにはこのような巨大な石垣があちこちに残っていますね。
どこを見ても巨大なのに精密で、感心してしまう。