名前 |
吉田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
江戸時代の豪商並びに河川改良事業で有名な京都の角倉了以の祖先のルーツを辿れば、ここ吉田城に至る。
佐々木巌秀がこの地に吉田と称して、築城したが、元亀二年(1571年)に宇曽川の戦いで、織田信長に焼き払われ跡形もなく消滅している。
その後、子孫の徳春(9代目)は京都嵯峨野に移り、名を角倉と改名している。
そして、その末裔として角倉了以(すみのくら りょうい)が生まれている。
更に、千住博(画家)や千住真理子(バイオリニスト)らは角倉家の子孫ともいわれている!