名前 |
吉井寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0847-62-2798 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
吉井寺(医王山)は、薬師如来坐像を本尊として祀る古義真言宗 御室派のお寺です。
今はとても小さな境内ですが、本堂裏手の藪に埋もれた広大な平坦地は、繁栄を極めていた頃の伽藍の跡地であるとも伝えられています。
吉井寺は上下町有福にある西山寺の末寺であるため、無住寺となった今は西山寺の住職が兼任しています。
創建時期は今から300年余りの昔、元禄13年(1700年)に天領を支配する代官所が上下村に置かれた頃に遡ります。
初代の代官(曲淵市郎右衛門)が支配地の巡検を行っていた際、大病を患って寝込んでしまい、様々な薬を施しましたが効果がありません。
床に伏って苦しんでいたある夜、身長が一丈(3m)もある僧侶が枕元に立ち、「お前のために良薬を授けよう」と言います。
代官が「お前は誰だ」と尋ねると、「私はここから北へ8町(800m)の所にいる薬師である」と言って姿を消しました。
夢から覚めた代官が、すぐに村の役人を呼んで尋ねたところ「吉井谷に薬師如来様がおられます」と答えます。
そこで医師を招き、薬師から教わった薬を調剤して服用してみたところ、たちまち大病は治ってしまいました。
一命を救われた代官は、代官所にほど近い翁山の山麓に吉井寺を建立。
薬師如来を吉井谷から移して丁重に祀りました。
それ以降、吉井寺は上下陣屋(代官所)の祈祷所となり、幕末まで大いに栄えました。
境内に現存する建物は本堂と庫裏だけで、いずれも瓦葺きです。
また、本尊の「木造薬師如来坐像」は、初代の代官が吉井谷から移して祀ったもので、広島県の重要文化財に指定されています。
高さ148㎝、膝張り101㎝の木彫寄木造りで、背後に円頭光背を掲げています。
白毫(眉間にある白い巻き毛)は透明体、半分開いた眼は彫眼で作られており、製作年代は鎌倉時代の後期と考えられています。
特別に大きい仏像ではありませんが「備後大仏」と呼ばれた時期もあったようで、その頃の看板が参道の入口に立っています。