寛弘7(1010)年、この井戸から生れたと云う。
所在地 浜松市北区引佐町井伊谷1881-9訪問日 2024/4/7約1.000年前に、井伊家初代•共保(ともやす)公が出生したという伝説が残る井戸です。
井伊家の菩提寺である「龍潭寺」から程近い田んぼの中にあります。
井伊共保公の出生年は定かではない様だが、一説では寛弘7年(1010年)生まれ、寛治7年(1093年)没とされる。
寛弘7年元旦、八幡宮の井戸の脇に捨てられていた赤子を八幡山地蔵院の和尚が拾って育てた。
その子が7歳の時、浜名湖畔の志津城の主「藤原備中守共資(ともすけ)」の養子となり成人後、共資の娘を娶り「共保」と名乗った。
その後、共保は井伊谷に戻って井伊氏を称した。
何と驚くなかれ、井伊氏初代共保[ともやす]は、寛弘7(1010)年、この井戸から生れたと云う。
平安時代中期のことである。
なんでこんなことを井伊氏は云わなければならなかったのか、見当が付かない。
不合理な言い伝えとして、聞き流してしまえばそれまでだが、気になってしまった。
徳川家康は、先祖を辿れば河内源氏坂東武者新田義重の末裔と云う。
眉唾物であるがこれには意味がある。
共保出生の言い伝えに何の意味があるのか?さて、この件はそれ位にして、この史跡は龍潭寺の駐車場から歩いて5分位、田圃の中にある。
現在も奇麗に保存されている。
井伊氏は家康の関東移封に伴い上野国箕輪12万石、関ヶ原の戦い後近江国佐和山18万石、直政死後同国彦根30万石となったが、この地を離れても大切に守ってきたようである。
尚、ここの説明看板に井伊氏の初代から40代までの歴代君主の家系図がある。
地元の各種史跡説明文もこの家系図に基づいているようであるので、参考までに・・・。
《2023.2.2訪問》
NHK大河ドラマ「井伊直虎」で、象徴的な場面によく出ていました。
TVドラマで見ていた「林の中の井戸」のイメージとは違い、この井戸は田んぼの中にあり、なんとなく「観光用」の雰囲気を感じます。
山有り、神社、お寺、田んぼの中に有ります!
田んぼの中って言うのがいい雰囲気です。
田んぼの中にポツンと佇むスポット。
大河ドラマで注目されるずっと前から、地元の方達に大切に守られてきたんだなぁって思うと、凄いなぁって素直に思う。
井伊家元祖井伊共保が井戸の中より出生されたとされる場所。
田んぼの守り神みたいな感じです。
田んぼの中にポツンとあります。
整備されている観光スポットではあるが、予備知識が無いとなんだかわからないです。
大河ドラマの舞台だったらしいですね。
こういう遺跡になった井戸は大体が涸れ井戸担っていますが、この井戸は水が張っていてちょっと感動しました。
大河ドラマのロケ地訪問で井伊谷にいったら、この井戸は外せないとなり、行ってみました。
龍潭寺を後にして、てくてく。
回りになにもない場所に井戸を囲う立派な塀に守られて。
エドワード時代に幕府を牛耳った井伊氏のルーツですからしっかり格上げされて今にいたるんですね。
ドラマに何度も登場した森の井戸の雰囲気は微塵もありませんでした。
名前 |
井伊共保公出生の井戸 |
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ジャンル |
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住所 |
〒431-2212 静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷1881−9 |
評価 |
3.6 |
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井伊家の初代当主である井伊共保公出生の井戸として大事にされた場所です。
大河ドラマ「おんな城主直虎」の場面にも良く出ていました。
田んぼの中にポツンとありますが、現在も大事に整備されているようです。