名前 |
五品嶽城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.shobara.hiroshima.jp/main/education/shogaigakushu/cat02/02/post_893.html |
評価 |
4.0 |
東城小学校創立百年記念誌に、この城跡について次のような説明が見られます。
大和国宇多郡を領有していた宮利吉が山名氏清の謀反に加担したことが発覚し、室町幕府は宮利吉の領地を没収したため、応永六年(1399)に宮利吉は三十余人の家臣と共に東城町久代に移り、その後比田山城を築きました。
(久代宮氏の始まり)久代宮氏はその後勢力を広げ、宮利吉から五代目の宮景友のときに現在の東城町川西に五本竹(五品嶽)城を築き、その次の宮高盛の時に現在の西城町に大富山城を築いて本拠としたことから、以後「東城」・「西城」という名称が使われるようになりました。
久代宮氏は戦国時代には毛利氏に属し、天文二年(1533)に尼子方の軍勢が備後国へ侵入してきたのを備中神代(岡山県新見市旧神郷町)の合戦で敗退させており、天文五年(1536)秋には尼子経久の軍勢が大富田城を攻めてきたものを、優勢の内に和睦し撤退させました。