熊本市中央区紺屋町、白川沿いの地蔵堂。
団子地蔵と放牛石仏20体目(享保9、1724建立)他数体の石仏が堂の中にあります。
白川の改修や氾濫で移動を余儀なくされた地蔵さんが集められています。
放牛石仏20体目もそうで、元は少し北の正覚寺の門前にあったのですが水害で流されここに置かれたそうです。
地蔵座像は団子地蔵と呼ばれ、江戸時代の刑場と関係があります。
磔刑や火あぶりに処せられる罪人に最後に甘いものを差し入れる場合に、直接罪人に渡すのは駄目だったので、「お地蔵さんに供える」「供えたものを罪人に」という形で差し入れが行われてたとの話で、「団子地蔵」だそうです。
刑場の場所はこの近くのどこかですが、言わないほうがよいでしょう。
前番号19体目は、渡瀬公民館前地蔵堂(再建)にあり、21体目は松尾から上松尾へ至る坂道の途中にあります。
名前 |
下河原地蔵堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
熊本市中央区紺屋町、白川沿いの地蔵堂。
堂の中には手前に小さな地蔵さまが4体、後ろに大きな地蔵さまが2体設置してあります。
後ろの向かって右側の地蔵さまは放牛石仏第20体目、享保9年(1724年)建立の幡を持った地蔵菩薩の立像。
左側の座像は団子(だご)地蔵と呼ばれる地蔵さまです。
団子地蔵の由来は江戸時代から明治5年までこの近くに罪人の死刑場があり、死刑になる罪人の親族がこの地蔵に団子を供えると、役人が親族の代わりに供えた団子を死刑直前の罪人に食べさせてやる、という話からきているそうです。
ちなみに死刑場は同じく白川を少し上流側に上がった新代継橋の下付近の河川敷にも旧藩死刑場というのがあり、先の大戦の空襲で消滅してしまったのですが放牛石仏の第10体目もあったそうです。
死刑場付近に設置された2体の放牛石仏、自分の親を侍から無念の切り捨て御免で失った放牛上人が、罪人とはいえ人から命を断たれる無念を慰めるため設置したと思うのがこの2体の意味ではないでしょうか。