名前 |
佐野善左衛門宅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
説明板が設置されており、次のように書かれていました。
標識の後ろ側、大妻学院の辺りには、元禄十一年(1698)から、旗本佐野家の屋敷がありました。
佐野家は、禄高五〇〇石で、代々、江戸城の警備を勤めていました。
天明四年(1784)三月二十四日、ときの当主佐野善左衛門政言 は、江戸城中之間において、老中田沼意次 の子で若年寄の田沼山城守意知に斬りつけました。
田沼意知 は傷がもとで四月二日に死亡し、佐野政言 も翌日切腹を命じられ、御家断絶となりました。
しかし、世間の人々からは「世直し大明神」とあがめられました。
また、佐野家の屋敷には桜の名木があり、番町の名物として知られていました。