南北朝時代に初めて城が山崎に築かれた。
南北朝時代に初めて城が山崎に築かれた。
当時は町の北側、篠の丸山の頂上にあったが、戦国時代末に播磨に侵入した尼子氏が、山崎町の鹿沢に砦を築いたとされている。
鹿沢に本格的に築城されたのは池田輝澄が城主になってからでしたが、その後城主が次々と代わり1679年から明治維新まで本多氏の居城となった為、規模が縮小した。
(陣屋跡)
名前 |
山崎城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.shiso.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/rekishishiryokan/h_topics/s_cul_p.html |
評価 |
3.4 |
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山崎城跡(山崎陣屋)元和元年(1615年)池田輝澄によって築かれた山崎城は未完成のまま輝澄が改易となり、陣屋の設置は本多氏が藩主となった延宝7年(1679年)以後のことで廃藩になるまで本多氏が治めていました。
現在の城跡は本丸跡に本多公園、二の丸跡に山崎小学校学校などがあります。
また当時の石垣が一部現存し、移築現存する紙屋門は両脇の塀と共に宍粟市指定文化財となっています。
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