お稲荷様がたくさんいらっしゃいました。
「しろうすけいなりじんじゃ」と読む📖👓正式名は「稲荷神社」。
⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️2021年7月12日(月)に那珂湊の街歩きで立ち寄った。
いくつもの鳥居⛩️が、この地での崇拝ぶりを伺わせる。
社務所の表札には飯塚四郎介の表札がかかってい。
宮司は四郎介の名前を代々受け継いでいる。
インターネットで調べた。
●「当社は文禄3年(1594年)に創建。
当初は飯塚四郎介の氏神として祀られました。
承応2年(1657年)に京都の伏見稲荷より宇賀魂命を勧請。
ご祭神の使いは那珂に伝わる民話『四匹の狐』の四男といわれ、海を守護する役目を担って那珂湊にやってきました。
」(宮司の言)●また、案内看板には、以下のように記されている。
ひたちなか市指定有形文化財(建造物)稲荷神社(四郎介稲荷神社)本殿及び拝殿Main hall and Worship hall of Inari-jinja Shrine(Shirosuke-inari-jinja Shrine)文禄3年(1594) 創建。
明治9年(1876) 社殿造営。
稲荷神社の大きな特徴は、 拝殿の四方に施された見事な彫刻です。
拝殿周りには、4匹の狐の伝説にちなんだ 「狐」や「波」、 向拝正面には「亀と波」、「人物」、「獅子とぼたん」、 海老虹 梁部は「登り龍」、「下り龍」、海老虹梁上部には 「鳥」、両側 の木鼻には「鯉の滝登り」 の彫刻がそれぞれ施されています。
これらの彫物は、軒札に 「彫工 後藤梅浦徳清 明治9年 丙子正月吉辰」 と書かれていることから、この当時、 日本橋 で活躍していた彫物師の門人の作と思われます。
指定日 令和 2年 2月 21日設置者 ひたちなか市教育委員会●さらに、以下のような紹介をしているホームページもある。
「四郎介稲荷神社」(ひたちなか市湊中央鎮座)祭神:宇賀魂命(豊宇気姫命・伊勢神宮外宮の神)文禄三年(1594)に飯塚家の初代を四郎介と名乗る神託があり伏見稲荷神社を勧請した事によるという。
伝説としては、静神社の森に正理を尊ぶ四匹の狐がいた。
神通力でもって土地の開発に尽力し、源太郎狐は瓜連、甚二郎狐は米崎、紋三郎狐は笠間に、四郎介狐は那珂湊に住し、それぞれが川原山海を守るために御祭神の使いしめとして人々に尊敬されてきたという。
川の守護神 静神社・・・・瓜連の源太郎狐野の守護神 三島神社・・・米崎の甚二郎狐山の守護神 笠間稲荷神社・笠間の紋三郎狐海の守護神 四郎介稲荷神社・那珂湊の四郎介狐現在の社殿は明治9年11月8日造営のもの。
御神木の前に足尾神社を配祠している。
茨城の伝説好きなら訪れたい聖地!社殿の彫刻もすてきです。
お札や熊手を拝受できますよ。
四郎介さんはお魚をとる手伝いをしてくれたそうなので、釣りする人はお守やお札貰うといいかもしれないですね。
民話“四匹の狐🐺”の四男、四郎介狐が祀られている稲荷神社です。
狛犬ならぬ狛狐が何体もいらっしゃいました。
境内は綺麗に整備されており、気持ちの良い、落ち着く神社でした✨拝殿、本殿も立派です!彫刻にも、狐が!!可愛らしく、みとれてしまいました(*^^*)足尾神社等の御摂社も祀られていました。
こちらもご利益があるのでしょう。
サンダルや靴などが奉納されておりました。
また、ゆっくりお参りさせて頂きたい、魅力的な神社です♪
その昔,静神社の森に正理を尊ぶ,源太郎・甚二郎・紋三郎・四郎介という四匹の兄弟狐がいました。
狐たちは神通力で人助けをすることを誓い,各地に分かれました。
海に向かった四郎介狐は,人間に魚のいる場所を知らせたり,塩を作る方法を教えました。
こうして,四郎介狐は海の守護神となったのです。
(残りの三匹の狐の神社は,いつの日か訪問して口コミを書くつもりです。
)御祭神は宇賀魂命。
創建は文禄3(1594)年,飯塚家の初代を四郎介と名乗るよう御神託があって,(たぶん,初代飯塚四郎介氏が)京都の伏見稲荷神社を勧請した事にはじまります。
東側の一の鳥居から参道は途中道路を渡って延々と伸び,また,北側と南側にも入口である鳥居があります。
広々とした境内は掃き清められ,特に社殿の彫刻の見事さに見とれてしまいました。
名前 |
四郎介稲荷神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
029-262-2061 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.ibaraki-jinjacho.jp/ibaraki/kenhoku/jinja/04016.htm |
評価 |
3.8 |
お稲荷様がたくさんいらっしゃいました。
鳥居もたくさんありました。