岩美郡がかつて巨濃(この)郡だったことから地名の意...
許野(この)乃兵主神社(岩美町浦富)の許野は、古くはコヤノと読まれていたが「こののひょうずじんじゃ」と変化しているが、岩美郡がかつて巨濃(この)郡だったことから地名の意味だとわかる。
許野乃兵主神社と佐弥乃兵主神社は直線距離でわずか約1.2kmの近い場所だ。
式内社は郡内に数カ所であり、しかも同じ郷には1社のみである。
同じ式内社同士でしかも同じ兵主神社がこのように近い郡内の位置にある例はないと思う。
そうすると佐弥屋敷は巨濃郡でななかったのだろうか。
許野乃兵主神社こののひょうすじんじゃ鳥取県岩美郡岩美町浦富686祭神大国主神素盞嗚尊昔の住所には巨濃(この)という郡名があったらしいが社名はそこからという兵主神は中国・司馬遷の史記に見える蚩尤(しゆう)であり武器の神です山東半島の付け根付近で特に尊崇姿かたちは怪異で鉄を食べるという。
「許野乃兵主(こののひょうす)神社」は兵主神社ですからやはり朝鮮半島からの渡来人がもたらした兵主神で祭神は大国主命、素盞鳴命で式内社です。
許野(この)は新井(にい)の古名で、この辺りは古代から人が集落を作り遺跡や遺物が出土し開かれた土地でした。
神社拝殿は岩美中学校入口北側の上山にあり、なぜだか鳥居はありません。
一番下の石段から約120段を一気に上がります。
上がる方向の右端に手摺がしっかり備え付けられて、入口には天保7年と刻まれた石燈籠が建っています。
一番上の境内には樹齢を想像することが出来ない位な御神木が太い幹を自ら引き裂きなからも神社を御守りです。
その姿は神々しく辺りは新たな力が沸き立つようです。
参詣人はここで力を頂戴して神社を後にしたはずです。
初詣とたまに運動をする場所。
石段が多くいい運動になる。
他の人の写真を見てこんなきれいな場所だったんだと感じた。
Good Spot!
名前 |
許野乃兵主神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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岩美町役場に駐車して参道に。
鳥居も登り竿らしきものもなく質素な標柱に呆気にとられながら石段を登ると、手すりは水道配管というなんとも斬新な工法。
見上げると青空があり拝殿と本殿に拝殿内は畳やスリッパがあり祭事にはかなりにぎやかなのがすいそくされました。
延喜式所載の小社にして郷社兵主大明神と称して、新井の山上にあり許野とは新井の古名というとのこと惣座神社を合祀神饌幣帛料供進神社氏子戸数四十五戸(鳥取県神社誌)