赤穂市の散策で赤穂城後を訪れました。
国史跡。
日本百名城の一つ。
忠臣蔵の舞台の一つでもある。
播州浅野家初代長直公により慶安元年(1648)築城。
復元された本丸門及び枡形、本丸庭園、大手門、隅櫓等が往時を偲ばせる。
二ノ丸、三ノ丸跡を巡れば、大石内蔵助公邸門ほか四十七士の邸宅跡の標示も点在。
市立歴史博物館での見学も合わせると、より深みのある歴史散策が楽しめる。
合わせて大石内蔵助公邸跡に鎮座される大石神社参拝もするのも良い。
JR播州赤穂駅からのレンタルサイクル利用が便利。
営業時間外だったため、石垣の見学だけとなりました。
天守閣はありませんが、櫓は残っています。
注目は曲がった石垣です。
私は初めて見ましたので珍しいと思います。
積み方は打込み接ぎとも切込み接ぎとも言えそうなので、正解はわかりません。
ところどころですが、修復した石垣が混在しているのかもしれません。
とてもきれいなのでそんな感じがするというだけなので、本当にキレイな石垣なのかも?入口付近に神社があり、討ち入りした47人の石像がありました。
⭐️全国的に稀有な縄張り❗️⇒変形の輪郭式に三の丸が梯郭式の複合型⇒甲州流軍学/近藤正純が縄張りの基本、そして山鹿流軍学/山鹿素行が一部助言手直しした全国的ここだけの築城例✨⇒本丸・二の丸・三の丸全ての塁線に屈曲折れ多用、「横矢掛り」「出隅」など至る所に普請工夫が凄い😲⭐️1615年「一国一城令」発令、『元和偃武』後に築城が開始された全国的にも珍しい城郭、1648年築城願い出され約13年掛け完成、10の隅櫓に12の門に郭の延長2847m、本丸には立派な天守台、幻の天守は五重とも‼️今は埋め立てられてますが、築城当時は南側が瀬戸内海に隣接『海城』⛵️⭐️凄く発掘調査や建造物復元に注力してると感心、本丸全体の御殿配置も中々面白かったです、更に本丸庭園と二の丸庭園整備も素敵、また訪問したい城郭でした😄
赤穂城の天守台が残る。
天守台からの眺めは良く赤穂城の規模がよくわかる。
因みに天守台はあるが天守閣が建てられた事は無かったらしい。
駐車場は無料で広い。
大石神社、赤穂民族資料館と併せて見学するのが良い。
正直、城内自体は何も残っていないのでそう面白いものでもない。
台所跡とか詰所跡というプレートがあっても結局更地でしかないし。
対して、庭園はホントに美しい。
雨が降っていたからか、日曜日でも人がほとんどおらず、この景色を独占できた。
観光に雨は大敵だけど、苦労の先には良いものが待っていることもありますね。
日本100名城に数えられる城で忠臣蔵の舞台として有名です。
今では石垣と一部の門と櫓を残すのみですが、二方向からの攻撃に対応した甲賀流軍学の横矢掛かりを駆使した屈曲させた石垣、瀬戸内海からの舟入の対応などの工夫が凝らされており、広大な城郭が見事な当時の姿を偲ばせます。
城内は桜の名所で元禄桜苑、二の丸庭園、武家屋敷公園などのいこいのスペースの他に四十七義士を祭神とした赤穂大石神社、赤穂市立歴史博物館、赤穂義士ゆかりの邸宅跡など見処一杯です。
駐車場無料。
御城印は赤穂駅の観光情報センターにて頂けます。
「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助達が藩士だったお城跡です。
城内は公園のように遊歩道も整備され天気が良い日にのんびり散策するのに良さそうです。
昔来ました。
その時のイメージと比較するときれいに整備されたと思います。
石垣もきれいです。
2021年4月3日土曜日の15時すぎに行きました。
桜がきれいでした。
駐車場はいっぱいでけっこうな人出でした。
駅からは徒歩圏内です。
中は思っていたより広く、見応えがありました。
しかし大きい城を見たいと思う人は少し物足りないかもしれないです。
ずうっーとかは分かりませんが、ボランティアの人には要注意。
必要以上の解説?です。
お城の跡地。
白い石塀の中は広く開けていてとても心地良い雰囲気でした。
地面に城当時の居室や風呂…台所などの案内が書かれていてとても興味深かったです。
赤穂の歴史には疎いので今後色々と調べてみたくなりました。
広大な縄張り!整備工事されています。
数年振りに訪問しましたが、お堀や城門等が新しく整備されて生まれ変わっていました。
しかしながら城壁等レプリカになりますので当時からの現存の曲輪とそれとが区別できづらくなるのは良くも悪くも考え深い。
櫓門がしっかり残っている広くて奇麗な城跡です発掘中みたいなので今後も楽しみです。
いろいろ整備が続いていて、完成後が楽しみになります。
沢山の櫓があったことが分かり、他のお城にない特徴的な平城です。
駅から散策しやすい距離で、神社やお寺巡りと合わせて、楽しめました。
赤穂城跡。
兵庫県内ではあまりにも姫路城が有名ですが、赤穂浪士で有名なここ赤穂城跡も是非訪ねて欲しい。
場内にある大石神社も見処満載。
県内に60年以上住まいして新しい名所を巡ることができました。
土曜日に行ったのですが、観光客もまばらでゆっくり見ることができた。
あまり見るべきものは少ない。
播州赤穂駅から徒歩20分ほどのところにある城跡。
忠臣蔵で有名な播磨赤穂藩が所在していたところです。
敷地内では、本丸跡が整備されており、城門と天守台が復元されているほか、二の丸には庭園が復元されています。
近くには博物館、大石神社もあります。
赤穂市の散策で赤穂城後を訪れました。
ゴールデンウィークでお天気にも恵まれ、心地好い場所です。
埋められていた城跡を掘り起こし作られているらしいです。
お堀等も忠実に復元されて、当時の事を想像しながら城内を歩くと見たことは無いですが何となくこんな感じの生活だったのかなぁ?と想像を書き立てられます。
特に本丸の階段は中々の段の高さが有り、当時の身長の高さだと攻め入り憎いだろうと思われるのがリアル感がありますね❗此処からの眺めも晴れた日には中々良いです。
歴史は苦手でしたが、少し赤穂四十七士に興味が沸きました。
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赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ,慶安元年(1648)より13年以上に亘る歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成したものです。
城郭の縄張りは近藤正純の指導のもと甲州流軍学によるもので、一部、二之丸枡形虎口付近は山鹿素行が設計変更したと伝えられています。
本丸と二之丸は輪郭式、二之丸と三之丸の関係は梯郭式になっており、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城とされています。
城郭の規模は、10の隅櫓、12の諸門があり、曲輪の延長は2,847mに及んでいます。
塁石、防壁、諸門、本丸御殿などが整えられ、居城としての威容が示されましたが、天守台のみ築かれて天守は構築されませんでした。
三代続いた浅野家ですが、刃傷事件により断絶し、その後は永井家、次いで森家の居城となりました。
明治の廃藩置県後、赤穂城は払い下げられ、屋敷地は民有地となりました。
しかし城郭復興の気運が高まり、大正元年(1912)には三之丸に大石神社が建立、大正14年(1925)には二之丸に山鹿素行銅像が建立されるなどしました。
昭和3年(1928)には本丸内に赤穂中学校(後の赤穂高等学校)が竣工されましたが、昭和15年(1940)には城跡が風致地区に指定され、昭和27年には都市公園の計画決定、さらに昭和46年(1971)には国史跡に指定され、赤穂城整備が推進されることになりました。
また平成14年(2002)には、旧赤穂城庭園(本丸庭園・二之丸庭園)が国名勝に指定され、現在も計画的に整備が図られています。
国史跡赤穂城跡(兵庫県赤穂市) 公式Webサイト美しい石垣を見ながら、ゆっくり散策できます。
備前、因幡の大藩の真正面に立派な縄張りを構えて広島との挟み撃ち体制だったけど、3代目で逝っちゃったもんだから後の森家が二万石で置かれちゃった時は石高に不相応な大きさで維持費が大変!製塩で儲けたお金で生活できてた状態。
同じ譜代でも格上の姫路を守る盾扱いで大変だったろうなと偲ばれます。
河川事業で転用された二の丸の石垣など復元が進んでいない箇所がありますが特に気になりません。
今は干拓により海岸線から離れてしまいましたが、汐見櫓などの櫓名から当時は海が近くまであった事がわかり、石垣の汚れ一つでも海由来?と思ってしまいました。
お堀の水は循環してないのでヤバイです。
夏場は死んだ水です。
赤穂義士に何の思い入れもなかったら、散歩してもしょうがないだろうが、「あ、ここがあの義士の旧宅か!」などと感動できる方なら楽しい。
かなり広壮な城郭であったことがわかり、この地が経済的に豊かであったろうことが偲ばれる。
お散歩にちょうど良い。
城が現存していたら、こんな感じかなぁと連想させるようにしてるところが、また面白い。
赤穂城の本丸を中心とした堀や石垣がよく残っているまた、周辺をよく整備している。
2017/05訪問石垣と濠が立派なお城ですが中に入ると特に復元されている物もなくちょっと拍子抜けではある。
のんびりと見て歩くには悪くない。
近くにある大石神社とセットで見るのが良いでしょう。
日本100名城 No.60の赤穂城は本丸に建物は無いが当時の建物の間取りを原寸大で再現してあり、その規模や暮らしぶりの一端を感じることが出来る。
また、石垣も城郭も立派です。
大石神社、赤穂市立歴史博物館も隣接。
名前 |
赤穂城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0791-43-6962 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:30 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
江戸期の城構えが遺構・案内タイルでよくわかる閑静な城址公園。
特徴的な曲線を描く石垣や堀、土塀などが保存されており、庭園や城門が復元されて綺麗に維持管理されている。
特に庭園は均整の取れた植栽や澄んだ水面が美しく日本の城の中でも屈指の素晴らしさだと感じた。
城内にある休憩所は城内施設を模した外観で城の雰囲気に合っている。
本丸御殿は失われているが、御殿跡はタイルと復元中庭で在りし日の見取りがよくわかるようになっている。
大手門付近にいるボランティアガイドは本丸の見どころ、中庭の歴史的背景を教えてくれた。
休日でも観光客はまばらであり、庭園でゆっくりすることもできるため、城址として見ても公園として見ても満足できる場所だと思う。
なお、100名城スタンプは大手門と歴史資料館にある。