ここに参拝したのは生まれて始めです。
大永3年(1523)、撫養に没した室町幕府十代将軍足利義稙が、以前に周防の大内家に身を寄せていた時に受けた妙見尊星をこの山に勧請したのが起源とされています(神社縁記) その後、四宮加賀守が城を構えたが、天正10年(1582)、長宗我部元親に攻められて落城し、社殿も兵火にかかりました。
天正13年(1585)、蜂須賀家政が阿波に入国し、ここに撫養城を築き益田内膳に守らせたましたが、一国一城の制により破壊されました。
それから200年近く経った江戸末期の天保元年(1830)、旧城主の子孫四宮三郎左エ門や林崎浦の豪商近藤利兵衛らがその城跡にこの妙見神社を再建しました。
ここの大鳥居の高さ7m、柱間5m、花崗岩づくりの大鳥居です。
額束に「妙見宮」、右柱には「天下泰平」、「国土安穏」、左柱に「海上無難」、「諸願成就」とあり、裏面右柱に願主江州千枝、藤野四郎兵衛、奥州松前、藤野喜兵衛と刻まれ。
發願者は近藤利兵衛とあります。
近藤利兵衛は徳島市川内町の出身で、林崎浦へ来て諸肥物問屋頭を勤めた豪商でした。
彼の持ち舟は北前航路に乗り入れ、藍の相場を左右したといいます。
藤野喜兵衛は近江枝村生まれ。
北海道余市で「又十」の商号をもって漁業、航海業で財を築きました。
四郎兵衛はその子で、江差をはじめ色丹、エトロフにまで開拓の手を伸ばしまし、松前藩の信任厚く、苗字帯刀を許されています。
妙見山大鳥居は、神社の完成した翌年のに寄進されていることになります。
名前 |
妙見神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.7 |
Beautiful and quiet shrine next to the castle. It was a weekday morning and there was absolutely no one around all the way when we climbed up the hill to this shrine (and castle).