室町中期の1457年に太田道灌により京都の一口(い...
お茶の水~駿河台の学生街、オフィス街の界隈の片隅にある小さな神社。
太田姫とはかの太田道灌の娘のことだそうな。
太田姫稲荷神社神田にある旧村社です。
大通りから一つ入った通りなので、今日初めて知りました。
静かで地味な神社です。
厳かな気分になります。
立派なクスノキがありました。
小さいですが、由緒ある神社です。
神田駿河台にある神社。
都会の雰囲気の中で神妙な雰囲気が漂っています。
仕事でここ一番の勝負の時や、心機一転取り組みたいときに、お参りすると気持ちが引き締まって、好転して上手くいきます。
逆に、長い間なかなか上手く行かずに手詰まりな時にお参りにいったら即日解決したというご利益がありました。
近隣で働いているかたのみならず遠方のかたも、人事を尽くして天命を待つという時には、訪れてみてください。
下記看板に記載されている経緯により、徳川家が管理している神社のようです。
太田姫稲荷神社縁起古社名|口稲荷神社御察神宇迦之泖魂神菅原道真公德川家康公金山彦命鎮座地氏子足域千代田区神田駿河台一丁目二番地千代田西神田駿河台一、二、三、丁目千代田迅神田錦町一丁目、小川町二丁目太田姫稲荷神社は極めて豊かな霊験伝承と古い由緒をもつ神社であります。
「駿河台文化史」(昭和十年神田史跡研究会)によると当神社の録起は九世紀に始まります。
詩才を白楽天に比されるほどの詩人参選小野堂(おののたかむら)が承和六年はじめ伯者国(ほうきのくに小鳥取県) 名和港を出してまもなく、海が大そう荒れ狂い身の老険を感じたため堂は正装をして海の軸に座り越心に普門品(ふもんぼん=税経)を唱えていると白髪の老が彼上に現れて「荒波からはを守っやるが疱瘡(天然疫=大流行し治療法がなく非常に恐れられていた)を患えば一命が老ないわれは太田姫の令であるわが像を常にまつればこの病にかかる事はないであろう」と告げ、破向に姿を請したそのお苦げを護り自ら弱の像を刻み護持していた後に山城国(京都府)の南にある一口の里に神社を祝い祭った。
江戸の開祖として知られる太田資長朝臣(後の通達)の最愛の姫君が重い疱疹にかかり、絶望の中・人伝に一口稲荷神社の故事を聞き急使をつかわせ祈願使者は祈祷の一枝と帯を授かり帰ると重篤の病が癒えた資長朝は学級の念く城内本丸に一社建立し、姫君と共に深く拝したある時この城の鬼門を守るべしとの神託があり鬼門に移して、太田姫稲荷大明神と奉するようになった長禄元年(一四五七年)のことである。
慶長八年(一六〇三)八月徳川家康公が江戸城へ入られた後慶長十一年の江戸城大改築の際城内より西丸の鬼門にあたる神田駿河台東側に移されこの坂を一口坂(いもあらいざか後に鈴木雄路守の屋敷が出来たので淡路坂ともいう)と呼ばれたその後、代々将軍が崇拝し修理造営は徳川家が行なったと伝えられている。
明治五年(一八七二)神社制度により神職司掌とする例祭日は毎年四月十八日と定められ後に五月第二土曜日となる大正十二年(一九二三)肉東大震災で類焼神神体のみ事に湯島天神に避難する大正十四年(一九二五)仮社殿が落成昭和三年(一九二八)氏子各伝の寄進により本社殿神楽殿湖水舎神輿庫社務所鳥居等新築される昭和六年(一九三ー)御茶ノ水駅 両国駅向の総武線建設のため社地大半を収用され鉄道者より換地として現在の地を神社製地に指定一切の建築物をそのまま移転、して今日に至る。
駿河台道灌道と御茶ノ水仲通りが交差する角地に歴史の長い「太田姫稲荷神社」があります。
主祭神は、倉稲魂神、菅原道真、徳川家康です。
あまり広くはないが境内は綺麗で静かな佇まいですね。
太田姫稲荷神社縁起によれば『太田姫稲荷神社は極めて豊かな霊験伝承と古い由緒をもつ神社であります 「駿河台文化史」(昭和十年神田史跡研究会)によると当神社の縁起は九世紀に始まります』と書かれています。
散歩中に発見しました。
夜だと光で気が付きやすいです。
今日は次の件で急いでいるいたので日中に、ゆっくりと見たいです。
神保町の活気がある場所から少しはなれた都心の町中に残された小さな神社です。
落ちつける場所を守ってくださって助かりますね(*ノω'*)
周りは会社が多く、しかし随分と静かな場所にある。
広くはないが狭くはなく、良い雰囲気でよく行く。
御茶ノ水から少し歩いたところにある神社。
小野篁など教科書で見かけた方のエピソードがあったり、今のご時世にこそ現れて欲しいお話があったりする場所です。
まだ桜がチラチラと残っている季節に来訪。
神保町散歩の延長で歩いていたらぐうぜん。
みかんの木と桜のコントラストがひな壇みたいで日本らしいなと感じました。
御朱印は賽銭箱の横にハンコウが置いてあるので自分で押します。
初穂料は100円ですので賽銭箱に入れます。
駿河台の大学と大きなオフィスビルに囲まれた一画に静に鎮座しています。
コロナ禍の時期の為か、御朱印がセルフでした。
自前の御朱印帳に記録することが出来ますが印鑑の溝が浅かったり……試し印する為の紙があるといいと思います。
室町中期の1457年に太田道灌により京都の一口(いもあらい)稲荷神社を勧請したのが始まり。
道灌の娘が天然痘にかかった際にかの神社に祈願したら病が治ったことから勧請し江戸城の鬼門にあたる場所に創建した。
JR御茶ノ水駅前の人通りが絶えない喧騒のなかから御茶の水仲通りを南下して行くと、どんどん人通りが少なくなってきます。
周辺にはさすが大学の街でたくさんの大学や予備校、会社のビルが立ち並んでいます。
歩き進むと三井海上の立派なビルの前に鎮座している姿(鳥居)が見えます。
御茶ノ水駅近くの元宮からこちらに移動して来ました。
元宮を参拝してからの現在の鎮座地に向かう体験は貴重でした。
詳細の神社縁起は写真を添付しましたのでご参照ください。
太田道灌のお姫様に関連するのかと想像していましたが、関連はしますが、社名の「太田姫」は神様のお名前です。
狛犬さんの頭部が欠けてしまっておりかわいそうでしたが、きっといつの日か修復されるのでしょう。
〔太田姫稲荷神社/Oota-hime Inari Jinjya Shrine 〕室町時代、太田道灌公の娘が、重い天然痘を患い、京都の一口(いもあらい)神社に祈願すると快癒しました。
<太田道灌公 創建の神社>最初に江戸城を築いた 太田道灌公が、江戸城内に、改めてこの神社を勧請してお祀りしたのが始まりと言われています。
その後、現在の聖橋のところに移されましたが、さらに駿河台の現在地に遷座しました。
<徳川家も崇拝>なにしろ、江戸城の鬼門守りとして、常に江戸城の鬼門に建てられています。
徳川家康公をはじめ、歴代の将軍もお参りしてきました。
とても、すがすがしい気持ちになりますよ。
お守りも、授与しています。
〔アクセス〕お茶の水駅・新御茶ノ水駅 徒歩8分小川町駅、淡路町駅 徒歩6分前後。
綺麗に整備された神社でした。
大学の関係でお祭りに参加させて頂きましたが、素晴らしい体験となりました。
神輿を担ぐのは中学生以来でしたが、肩に当たってかなり痛かったです。
江戸っ子の方々はとても元気があり、オフィス街を元気に練り歩きます。
特に、御茶ノ水駅の改札の前まで神輿を入れて担ぐのは、とても面白いので、お祭りの季節にはぜひ訪れてみてください。
千代田区神田駿河台にひっそりと佇む神社『太田姫稲荷神社』さん。
駿河台にありながら、周囲の喧騒とは別次元の静謐な雰囲気を醸す神社。
創建は、太田道灌だが、社名にある太田姫は、太田道灌の娘の名前ではない。
『神社縁起』によると、小野篁の前に現れて疱瘡に罹らないように祀れと告げた神様、道灌の前に狐の姿で現れて江戸城鬼門に祀れと告げた神様の名前が太田姫命。
●社名:太田姫稲荷神社●住所: 東京都千代田区神田駿河台1-2●御祭神:・宇迦之御魂神(伏見稲荷大社主宰神)・菅原道真公(太宰府天満宮主宰神)・徳川家康公(東照宮主宰神)・太田姫命●由来:・室町時代中期、太田道灌の娘が天然痘(疱瘡)に罹って生死の境をさまよっていた際、天然痘に霊感がある京都の一口稲荷神社に娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒した。
・1457年、一口稲荷神社を勧請して旧江戸城内に稲荷神社を築き創建した。
・1606年、江戸城の改築により、城外鬼門にあたる神田川のほとりに遷座。
・1872年、太田姫稲荷神社に改称。
・1923年、関東大震災で社殿が焼失、湯島天神に避難。
・1928年、再建。
・1931年、御茶ノ水駅の総武線拡張により、現在地に遷座。
●御朱印:・セルフ御朱印・拝殿賽銭箱の横に御朱印が用意されています。
・御朱印初穂料は賽銭箱へ。
御朱印が自分で押せてしまう神社です。
神田・御茶ノ水の隠れた観光スポット。
太田姫稲荷神社。
神保町駅の東、駿河台下交差点付近にあります。
御朱印は、自分で押すようになっていました。
千代田区神田駿河台にある神社です。
通勤のサラリーマンの方と一緒にお参りさせていただきました。
太田道灌の娘が重い疱瘡に罹った際、小野篁が創建した京都一口稲荷神社を勧請して、江戸城本丸内に長禄元年(1457)創建したと伝えられています。
(「猫の足あと」さんのホームページより)
JRお茶の水駅(聖橋口改札)の近くに大きな木があって(椋の木だそうです)元宮って書いてあるので今はどこにあるのか気になっていたのですが…お茶の水サンクレールと丸善の間の道を靖国通の方へ歩いていくと右側にあります。
普段、人は居ないようですがセルフの御朱印があるという話なので探してみよう。
中高層のオフィスビルに囲まれ、境内も手狭ではありますが、角地に面して鎮座されているので、社殿は開けて感じられます。
鳥居前に御神木らしき大きな楠木があり、境内にも立派な蜜柑の木が植わっています。
狛犬の損傷が残念ですが、社殿は新しく整備されています。
オフィス街の鎮守さまに相応しい佇まいです。
建物の新しい神社です。
鉄道を作るときに聖橋脇の元社からこちらに移転したそうです。
御茶ノ水、神田の喧騒から少し離れた、大学やオフィスビルの中の神社です。
大きな楠のある門前の広場と一体になって静かな存在感が有ります。
高層ビルの間にひっそりと立つ神社。
静かです。
神田駿河台のビルの谷間にあるお社。
境内から外にある大木と不思議な空間をかもしています。
太田姫稲荷神社は、太田道灌の娘が重い疱瘡に罹った時、小野篁が創建した京都の一口稲荷神社を勧請して、江戸城本丸内に長禄元年(1457)創建したことが始まり、と伝えられる。
それで、一口稲荷神社とも呼ばれていたが、太田道灌は後、当社を江戸城鬼門へ移した。
徳川家康入府後は、神田駿河台裏側の大坂へ遷座した。
坂は、この名から、一口坂と呼ばれた。
そして、神田駿河台の鎮守となったようだ。
昭和6年、総武線延伸工事で、この地へ遷座されたと言われる。
こじんまりとした小さな神社で、祭神は、宇迦之御魂大神。
神社の名前がいい。
小綺麗で品のいい神社遠くから来るほどではないが地元なら時々お参りしたい。
坂道を下りていくと現れる小さい神社。
でもなんとなく見てしまう。
名前 |
太田姫稲荷神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3291-8228 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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十年以上前に太田姫稲荷神社で願をかけたところ、その願いが叶いお礼参りに伺いました。
こじんまりとした神社でありながら落ち着いた雰囲気が心地よく、自然と心が穏やかになります。
主祭神は宇迦之御魂神で、豊穣や繁栄を祈願する方にとって頼もしい存在です。
稲荷神社らしさを感じさせつつも、鳥居がないという点がユニークで、不思議な魅力を感じました。
日々の感謝とともに、いろいろな意味での豊穣を祈願しました。
これからもまた折に触れてお参りしたいと思います。