「葭原神社」は円護寺川の畔の小高い山裾に古木に囲わ...
あしはら神社 普通には読めないな。
団地として開発される前は集落の一番奥で、鳥取城の山上の丸の真裏にあたるわけなので重要な地でしょう。
古くは八幡宮と称し、明治期に葭原社、葭原神社と改称本殿と拝殿の間に変わった狛犬発見。
祭神 品陀和氣命本殿、幣殿、拝殿、神楽殿神饌幣帛料供進神社氏子戸数 六十八戸(鳥取駅神社誌)
「葭原神社」は円護寺川の畔の小高い山裾に古木に囲われています。
うだるような暑さでも境内に入ると厳しき陽光がしっかりと遮ぎられ、熊蝉の鳴き声がひっきりなしに加わって、たちまち汗が引きました。
神社の名前の由来は円護寺川の付近に沢山の葭が生い茂り、茎の部分が編まれて(すだれ)や(笛)が作られていた、その原料の葭が生い茂る場所の神社を「葭原神社」と名付けたのな?。
丁度久松山の背面を見上げる所に位置しており、この辺りの円護寺川には蛍の生息地として豊かな自然があり、地元の方がその保護と環境の美化に努めています。
名前 |
葭原神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
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岩美郡史には葮宗とある。
葭原なので誤字なのだろう。
誤字のまま下にマトメ記す。
❶【参考 岩美郡史 明治35年】葮宗神社 (明治35年の神社の紹介文となる)明治6年(1873年)に 八幡宮 と称していたが今の社名 葮宗神社 改称した。
[鎮座地] 中ノ郷大字圓護寺[社格] 村社[祭神] 邑陀和気命(ほむたわけのみこと・応神天皇)[境内地面積] 240坪[氏子数] 64人。