2012-08 仁風閣の上にあります。
鳥取市内を一望できます。
久松山の麓にある城の遺構はそのほとんどが江戸時代 池田氏によって改修されたもので、現在進行形で城の復元工事中です。
予算51億2千万円、期間30年(2035年完成予定)で幕末の姿まで復元するというビッグプロジェクトです。
鳥取城主はたびたび変わった。
つまり城主が負けて新しい城主を迎えてきた。
はじまりは山名氏。
次に分家の武田氏、その次に毛利氏の重臣である吉川経家が城主。
そのあと太閤豊臣秀吉公の五奉行宮部継潤。
徳川の江戸時代から池田長吉によってが6万石で入りました。
池田氏によって近世城郭に改修された。
そのまま12代続いて明治維新を迎えた。
城を天守閣を復元してほしいのは地元はもちろん国民みんなの願いである。
台形にそびえる久松山のふもとに聳える広大な城跡。
「城郭の博物館」と称されるだけあって見事な石垣。
標高263mの山頂に築かれた城は山上ノ丸、ふもとに築かれたこちらは山下ノ丸と呼ばれるそうな。
山下ノ丸でも標高50mはあろう。
こちらは、石切り場跡が見受けられるが、ここからさらに山頂まで石垣材料をえいこら運んだのはえらいこっちゃと思うのでありました。
ここ「山下の丸」はお城の日常生活、藩主と側室の私生活を支え奉仕した奥方女中が生活をしていた屋敷等があった所です。
水を汲んだ井戸もありました。
二の丸と三の丸とを繋ぐ役割を果たしていました。
日本100名城 No.63 鳥取城久松山山頂の山城と平城からなる城。
櫓台の石垣などの復元整備が進む。
鳥取市内を一望出来ます。
一部 石垣を積み直しの修復中の所があります。
石垣の造りが見応えがある。
それと登り石垣があるのが特徴。
天守閣はないですが石垣は見ごたえあります。
2012-08 仁風閣の上にあります。
整備されています。
上山的路比較辛苦,山頂風景美麗。
豊臣の霊が漂う心霊スポット。
まさに城跡です!
名前 |
鳥取城 右膳ノ丸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
右膳ノ丸丸から三階櫓跡にかけて、特に裏御門跡と言われている処の散策が、鳥取城山下ノ丸跡地のなかでは好きな場所です。
鳥取城の石垣は、あまり上手とは、言えないと私は思っていますけど、この辺りが一番好きな散策道です。