これは疑うことなき神武天皇銅像。
日本國民に知って欲しいです。
特に何もありませんが、車で行けますし、駐車スペースもありますよ。
古い登山道もありますから散策するにはいい場所かもです。
乃木大将が私費で建てたもの。
草刈り取りしているが❗自然界のやり方に勝てないけど頑張ってまーす。
結構珍しいものらしい。
日清戦争の戦勝記念の名目で、地元の出征者の手により建立。
当時全国に建てられた凱旋碑の一つであり、戦没者の天皇への忠義を称える忠魂碑とも捉えられる。
進駐軍による取り壊しを免れるために銘などは隠されてしまい由来は「謎」に包まれることに。
日清戦争の戦没者は約一万三千余命、死因の九割強が病没(脚気)であったという。
このような経緯から訪問時は、黙祷または合掌を推奨。
眉山カラの!桜🌸!徳島市内が!見える。
元々は阿波の国は邪馬台国ですから、神山でのスサノウ神と天照神の御宝の争いは天照神の神殿までスサノウ神に焼かれてしまいまして、天照神はスサノウ神にお宝を返すように言うのを諦めてキノベ山におりてこようとしました、その時に天照神の右腕であります、猿田彦神とスサノウ神と行動を常にしてた神の貴船の神が話し合うことになりました、貴船の神とは大山杭神様です、これが天の安河です、最後のラストチャンスだったのです、この場所は入田地区でして、キノベ山は近くですね、スサノウ神を天皇に認めたから、お宝は返却されて天照神のものになりましたが、スサノウ神は天皇です、それも、初代天皇なのです、古事記や日本書紀の作話に惑わされたら真実は見えなくなります、さて、天照神はこののちに、キノベ山に大神殿を作ります、現在の八倉比売神社ではなくて、大泉神社の下の現在は子供の遊び場所になっていますところです、ここから景色を見ますと東の眉山が一望できます、おそらくスサノウ神は眉山にも古墳をつくりました、この天照神の大泉神社の下の神殿の上には亀石と鶴石がいまもありますが、道を造るときに少し動かされていまして、亀のコウラ石は反対になっています、好奇心の強いスサノウ神のことですから眉山に古墳はあるは当然とおもいます、なお、正倉院には古代の神々や、もちろん邪馬台国、高天原の記述はすべてあります、ゆえに、知り得た上で眉山に初代天皇像を明治天皇は建立したのです。
追記、神武天皇は紀元前659年に天皇に認められておりますから、昭和16年に2600年祭を皇室は行っています、すなわち昭和16年は1941年になりますから計算しますと、2600年祭に合うわけです。
追記、昭和15年に変更して一年繰り上げて下さい、失礼しました。
日本に2体しかない銅像とかまた、こちらの左側に眉山に登る山道があります。
何故か徳島に神武天皇像が、明治天皇が建立指示をされたそうです。
明治天皇の指示で乃木大将(乃木希典)が建てさせたもの。
神武天皇のお顔がわからないということで、乃木大将は明治天皇の写真を持参し製作させた。
これは疑うことなき神武天皇銅像。
明治天皇の指示で乃木大将(乃木希典)が建てさせたもの。
神武天皇のお顔がわからないということで、乃木大将は明治天皇の写真を持参し製作させた。
名前 |
神武天皇ご尊像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
ストリートビューに映り込んだベンチで寝てるおっさんが気になるわ🤣