昭和54年に建設されました。
昭和54年に建設されました。
明治天皇は神武天皇像をこの地につくりまして、自分の像も作りました、何故にこのようなことをしたのか??不思議ですね、今回はわたしなりの分析と考察を記載します、その前に幕府を倒したのは大きくは薩摩、長州軍団ですが龍馬とその仲間も有名人がいます、倒幕運動のみであったのか??いえいえ違います、皇室までも変えているのです、明治天皇について調べますと、病弱でありまして、その上に伝染病に罹患しており皇室行事ができるうる状態ではなかったといいますが、あるときを境に白馬に股がり全くの別人の如く現れて庶民を驚かせたとあります、それは体格も顔も表情も別人であったといいますから、現在の山口県は長州でありますから、薩摩よりも長州のほうが力は強くて勢いはあったといいます、山口県の方に聞きますと、あれはすりかわったのだといいます、それは山口県の大室寅之助なるものが明治天皇になったといいます、全くのウソ八百ではないと思います、長州軍団は皇室までも変えたのです、それで皇室の先祖の基に神武天皇像を作りまして、自分も皇室の天皇になったのだからその証拠をここに残したのでしょう、本来なら山口県にするはずですが、阿波の国の神社町の眉山の中に建立しました、ここはスサノウ神の古墳のあるところです、スサノウ神は熊野では速玉主の神となりまして、天皇名は初代天皇の神武天皇なのです、この時に公爵、侯爵、子爵、男爵に長州軍団が一番多くなっております、そして、総理大臣になったのは現在の安部総理で10人目です、これは偶然なのでしょうか、山口県は群を抜いて総理大臣排出県なのです、いろいろな説を唱えるかたもいますが、これは私の考察を記載したのです。
明治天皇の銅像です。
神武天皇銅像とくらべてみましょう。
名前 |
明治天皇銅像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
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よかったです。