福島県会津若松市の中心部から少し東側にある標高31...
福島県会津若松市の中心部から少し東側にある標高314メートルの山。
名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なのでつけられました。
白虎隊関連の観光地です。
動くスロープから白虎隊自刃の地〜サザエ堂と巡りました。
良い場所です。
白虎隊最期の地です。
会津の町が一望できます。
鶴ヶ城は思ったより小さく見えました。
石段を登りますが、横にエスカレーター的な物も有料であります。
白虎隊のお墓があり、彼等が自刃した地として知られる場所です。
実際に彼等が自刃したとされる場所へ行くと、天気の良い日には鶴ヶ城がかすかに見えます。
白虎隊のお墓や彼等が自刃した場所は急斜面の参道を登った先にありますが、そこまではエスカレーターが運行しており、大人250円、子ども150円で乗ることができ、楽に参拝することができます。
また、参道や周辺にはお土産屋さんも充実しており、会津に行ったら必ず訪れたくなる人気の観光スポットです。
2022年10月15日に訪問。
遠目に三角に見える山です。
白虎隊最期の地として有名です。
入口は土産屋が並び、中腹にはさざえ堂、白虎隊関連、戸ノ口堰洞穴などがあります。
エスカレーターがありますが、元気な方は必要ありません。
むしろエスカレーターを降りてからのほうが大変です。
白虎隊自刃の地からは、鶴ケ城が見えます。
ただとても小さいので、白虎隊の少年たちが、城が燃えていると勘違いしたのもわかります。
とても切なくなりました。
江戸無血開城が成された後も戊辰戦争は続きます。
それは、新政府軍による東北征伐である会津戦争です。
旧幕府方として会津藩を中心に奥羽越列藩同盟が結成され、会津地方を中心に抵抗しました。
この時、土方歳三や斎藤一など新選組も活躍しましたが、徐々に劣勢になり会津若松城(鶴ヶ城)に籠城する事になります。
少年兵で結成されていた白虎隊は、滝沢本陣から出撃するも敗走し、ここ飯盛山へ辿り着きます。
そして、会津若松城が燃え上がっているのを見て、落城したとの勘違いから自刃したという悲劇が生まれました。
まだ10代という若さで命を落とすというのは、戦争の虚しさを感じます。
(後の太平洋戦争でも同じですが。
)ここがそうした場所である事を思えば、観光地としてではなく、歴史を重んじるべき場所ではないでしょうか?
名前 |
飯盛山 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
料金:¥0駐車場:あり(市営観光駐車場)トイレ:あり(駐車場にあり)感想:墓から遠くに会津若松城が見えました。
かなり小さくてカメラ越しに場所を特定してようやく見つけました。
細長い何かと重なっていました。