オシャレなオブジェといった感じです。
当時のまま残っている親柱。
たった60年くらい前にここに川があったことに驚きです。
江戸時代は、汐留川に「新橋」が架けられていました。
芝口御門が出来た段階で、芝口橋と名前が変わりましたが、芝口御門の焼失に伴い、新橋の名前に戻された経緯があります。
新橋の親柱は、この新橋の両端にあった親柱が保存されているものです。
汐留川に宝永7年(1710年)に架けられた橋は「新橋」また「芝口橋」と呼ばれ ましたが、その橋の明治時代の初めにデザインされた親柱が、銀座の入り 口、銀座八丁目の中央通り沿いの首都高の高架下に残されています。
東京が世界的な「エッジ・シティ」であると同時に、その実、世界有数の古都であることも改めてわかる場所。
夕方、暗くなって明かりがともる頃が趣があるとのことでしたので、仕事が終わった後、SL広場の汽笛を聞きながら訪れました。
周りの雑多なものが暗闇にまぎれ、ほのぼのとした ともしびを見ていると、かつてあった橋を渡っているような気分になります。
親柱と聞いて、柱→支える と連想して、橋脚が残っているのかなと考えていました。
橋脚に明かりがともる???下を通る船が橋にぶつからない配慮かなと。
親柱というのは、欄干の両端にある、橋の名前や川の名前が書かれた街灯のような柱のことなんですね。
案内板もなく、知らないと何かのオブジェかなと思って通り過ぎてしまいそうです。
汐留川で検索すると新橋とおぼしき写真を見ることができますが、親柱の形がちょっと違っています。
この親柱があった「新橋」の姿を見てみたいものです。
汐留川は埋め立てられてしまいもうありませんが、「新橋」のほかに「難波橋」「土橋」「新幸橋」などが交差点の名前として残っているようです。
首都高速のすぐ脇に「新橋」の親柱が残されています。
当時の首都高速の多くは河川の上に建てられているので、このように高速道路脇に箸の遺構が残っています。
高速道路の下には昔川が流れていたんだって事を想像すると面白いですね。
大きな親柱です。
「新橋」という地名は、この橋に由来しているそうです。
でも、川は埋め立てられ、GINZA9になり、上には高速道路。
ちょっと、味気ないですね。
紹介の案内板があってもいいのにね。
もう少し、別の方法の保存方法はなかったのでしょうか?と感じてしまいました。
新橋の地名の元になった橋の跡。
東海道が汐留川に交差する位置にかかっていた橋の跡です。
汐留川は現在の高速道路と同じ位置に流れていました。
橋の名前は新橋となっていますが、かけられたのは江戸初期です。
上流にあった土橋に対して「新しくかけた橋」ということでこの名がつきました。
途中、芝口御門橋と改名した時期もありましたが、新橋の名で近代まで存続し、周辺の地名の由来となりました。
現在、周囲は海外からの観光客の人々で賑わっており、あまり気にもとめられずひっそりと立っていますが、かつてもここは橋を通って旅立つ人々で賑わっていたことでしょう。
オシャレなオブジェといった感じです。
華やかな銀座に佇む場所。
歴史をかんじます。
石に座ってる方も。
普通に歩いていると気がつきにくいです。
歴史を感じさせる。
名前 |
新橋跡の親柱 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
新橋跡地側が港区新橋、高速道路の向こう側が中央区銀座になっている。
ちなみに高速道路の下は元々川だったため番地はなく、銀座に9丁目(ナイン)はない。