名前 |
常立庵 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0858-43-1178 |
住所 |
|
評価 |
3.0 |
本泉観音堂昭和35年から無住となっている 住職がいなくて由緒を聞くよすがもないが、墓石には次のように記されている徳林7世大和尚明和9年(1772)昌泉14世文化3年(1806)その他に 宝暦3年(1753)のものなどがある 大戦中供出をまぬがれた梵鍾には次のような銘がある伯耆国 河村郡本泉村観音堂伯耆小鴨住鋳師 蓑原和泉大橡藤原有良 作作者蓑原判治良尉伯義 小工 斉江栄助寛政2年(1790) 戌7月吉日徳林7世の墓石からみて開基は、徳林寺の庵寺として始まったものであろう 本泉の富裕な信徒を擁して栄えた歴史もありそうである終戦後までは30俵の宛口米がはいっていたが、農地解放のため今はそれもなくなって無住の原因となったという「賀茂小学校下郷土誌」から引用すると正徳4年(1714)8月18日 大庄屋山本善六正勝の開基なり 本尊は阿弥陀如来にして33体の観世音菩薩を祀り、江戸時代までは田地の寄進多く寺領米90俵 明治維新に廃仏の際田地は神社有に編入された伯耆33番札所中30番 西伯耆、出雲より参拝者多し 昭和5年の参拝者は1、300人にのぼると記載されている 昭和に入って、年代は不明だが落雷で本堂炎上 その後再建されて現在に至っている(三朝町史より抜粋)