この辺りが御蔵所の跡でした。
毎年行ってます。
医家神社いけじんじゃ徳島県三好市池田町マチ2287祭神大國主神少彦名神延喜式神名帳は倭大国玉神と大国敷神の二座と書かれているため本来の祭神はこのニ神と思われます随分難しい社名ですが住所が池田町となっている為「池神社」と思われます。
無人の神社。
おみくじを50円でひいたけどろくなことが書いてなかったので低評価にしました。
大吉だったら🌟を5つにしたんだけどね、、、。
ご祭神は大国主神と少彦神を祀ります、この二人の神の領域は山城方面から南岸は鴨島町から石井町の境までが領域になります、境の領域にある石碑は発見しましたから、でも二人の神の神名が読めずに長らく苦労しましたが左の神の文字の中に指の文字がありまして、スクナヒコ神とわかりましたから、右側に祀られますのは大国主神とわかりました、その境のところから東は大山杭神の領域になりますから、入れなかったのです、格が違いますから、そこまでだったのでも、この二人の領域こそ、出雲の国なのです、古代には今で言います村単位が国でしたから、多く国を取りすぎていまして天照神に注意されて国譲りの神になりました、さて医家神社とは変わった名前ですが、この池田町の由来はここから来ているそうです、医薬の家とは、今回はスクナヒコ神にスポットを当てて記載してみます、スクナヒコ神はどこから来て大国主神と共に行動していたのか分からないのです、そして急にいなくなりましたから、ますます分からない神として古代史研究者を困らせております、私の分析と考察を記載してみます、この神は医薬の神に酒作りの神に温泉の神とあります、特徴は指の神とありますように小さい身体ですが知恵者です、私は結論からいいましてアメノヒワシ神だと思います、天照神が孫のニニギ神に日向の国、瑞穂の国を大国主神に与えて欲しいと、現在地の美馬町重清西の倭大国魂神社のあるところに使いに行かせたのがアメノヒワシ神です、ところが何年経過しても帰らずに、アメノヒワシ神は大国主神に、取り込まれて娘を嫁にさしたのです、そして鴨島町の現在の向麻山を大国主は与えました、アメノヒワシ神は神山にて天照神が引きこもりました洞窟の岩屋の中に身体が小さいから飛び込みまして、助け出した神です、そう考えるならアメノヒワシ神は少彦神ということがわかります、次に何故にいなくなったのかは??スサノウ神の和歌山から奈良までの制覇に応援に出ていたことがわかります、アメノヒワシ神としての神社は東日本にもおおくありますことから、同一神でしょう、スサノウ神は娘ムコの大国主神は西日本制覇には連れていっておりませんから、奈良のオオミワ神社の祭神は本来はスサノウ神ですがのちに朝廷が大国主に替えていると考察ができます、少彦神が医薬の神を名のったのはスサノウ神の医薬の神を使わして頂いたからです、スサノウ神の西日本制覇においても功労者だったのです、東日本においてはヒワシといいますので和紙の神として祀られております、器用な神でして大国主神に使えたり、また天照神には信用が厚く世の中を上手く泳ぎ抜きます知恵者だったのです。
この辺りが御蔵所の跡でした。
三好病院から西へ250m進むと、南の山間部から流れ出した弥重良谷にかかる下町橋を渡り、池田の町場へと続く。
橋を渡ると道の北側に徳島県食糧卸協同組合の倉庫が建つ。
この付近が「分間図」に記載されている御蔵所の跡と推定できる。
ここから西へ、急な坂道を登り、池田の町場に入る。
町が高台になっていることがよくわかる。
坂を登り切ると、道は平坦になり、本町を西進していく。
この辺は昔、遊郭が有ったそうで雨の日はお気を付け下さい。
出るらしいですよ。
特に夜。
名前 |
医家神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0883-72-0789 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
御祭神少彦名命様。