昔の青果市場の姿が保存されています。
🚴u200d♀️庄内川沿いをサイクリングして、美濃路に入ると街道沿いに問屋記念館がありました《入館無料》☀️中仙道(垂井宿)と東海道(熱田の宮)を結ぶ街道だったんですね‼️旧山田九左衛門家住居は、住居部分と共に商用部分を持った併用住宅で、間口が狭く、通り庭にそって部屋が並ぶ中二階建てで、座敷は奥に配されるという典型的な問屋構造です。
言い伝えによれば、山田家の先祖九左衛門は、慶長19年(1614年)大阪冬の陣のおり、徳川家康が当地庄内川を渡河した際、市兵衛と共にその世話をした功を成し、問屋業を始めたいわれています。
ここに復元された旧山田家住居は、明治の早い時期に建てられ、当地美濃路を形成してきた町家の中でも江戸期の様式を伝えています。
名古屋の人でも知らない人が多いのですが、、、名古屋市と清須市の境の庄内川から先は戦災を受けておらず、名鉄の西枇杷島駅辺~丸ノ内駅辺りまで美濃路の面影が色濃く残っています。
(須ヶ口駅周辺は新しい建物に変わっている)この区間にはこの問屋記念館の他に一休庵、飴茶庵と言う市の無料休憩所があり、歩き通して見るのも良いと思います。
清須市は架空の城なんかよりこの街道整備に力を注いで欲しいです。
買い物と散歩がてら寄りました。
この地域では、江戸時代初期からおよそ350年間栄えた「下小田井の市」という市場が存在していたこと、その下小田井の市の様子やこの建物が下小田井の市の由緒ある問屋の山田九左衛門宅を移築したものであることがわかります。
こじんまりとした記念館ですが、この辺りの地域の歴史について学ぶことができる文化財の一つですね。
昔の青果市場の姿が保存されています。
名古屋北部市場の原点であり中部圏の台所といった場所。
美濃街道沿いから奥へ細長く、一番奥の和室の先は崖下が見えます。
美濃街道が周りより高く造られていることがよくわかります。
かつて青物問屋だった建物を移築復原したものです。
建物内には青物市場やこの家の主人だった野口道直についての史料が展示されています。
この人は『尾張名所図会』の編纂出版にも大きく尽力したようです。
ところで、ここ枇杷島はかつて美濃街道の宿場町でした。
そのため、今でもその面影を見ることができます。
屋根神様とか木造三階建てとか瑞正寺の宝塔とか・・・ 清須市は枇杷島まつりだけでなく、こういった古い街並みの保存・活用にもお金をかけてほしいと思います。
当時、全国的に名が知られていた日本三大市場の一つ、下小田井市の問屋の建物を移築、復元した貴重な建築です。
平日に訪問しましたが、誰一人おらず、無人でした。
その代わり、ゆっくり楽しむ事ができました。
展示は少ないですが、当時の状況を上手く再現しています。
名前 |
西枇杷島問屋記念館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-409-6471 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
2023年6月枇杷島祭りで初訪問。
車では何度か通ったことあるものの道が狭くてスルー(笑)毎週末ホコ天にすれば。
ちょくちょく良いお店もあって快適なのにと思いつつ。
地元の人の生活もあるから難しいでしょうね。
肝心の記念館ですが、清須の歴史を感じる場所でした。
江戸時代初期,徳川家康により「下小田井(しもおたい)の市」が開かれ、 主に青果市場として発展し,当時は,江戸の神田,大阪の天満と並び,日本三大市場に数えられた。
そうです。
問屋とはいわゆる卸売り業者さんですね。
たくさんの野菜を買い付けた商人が名古屋に野菜を届けていたんでしょうね。
古民家でほぼ昭和初期の頃のままになっているようです。
見学は無料で。
座敷も上がり見学できる。
さらに清須に関する歴史映像も完備。
昔の道具もそのまま置いてあり、当時が忍ばれます。
車では行きづらいので、足軽バスや徒歩移動で是非近くによった時は見てほしいですね。
何せ無料ですから(笑)