名前 |
定福寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
084-925-1180 |
住所 |
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評価 |
3.2 |
此のお寺は一度、大空襲で焼失して再建した。
定福寺の特色はなんと言っても福山城藩主勝成の妻と後妻の巨大五輪塔が2基が祀られている。
皆さんはあまり知られてない。
福山城代藩主ニ代水野勝俊の生母・於登久の墓(香源院)と勝成の御妻・於珊の墓(良樹院)、水野家ゆかりの墓がある。
参勤交代制により、於登久(おとく)は江戸住いで1674(正保4)年に大阪で死去。
勝俊は母の遺骨を引き取って香源院(こうげんいん)して定福寺に手厚く葬りました勝成は別に於珊(おさん)を妻に迎えます。
備中成羽城主三村家親(いえちか)の娘であり於珊は於登久より13年も早い1634(寛永11)年に死没し、良樹院(りょうじゅういん)として祀られた。
生前は歯痛病に悩まされて晩年【後世歯を病むものであれば我墓に祈るべし】と言い残し、歯痛の神と崇められた。
福山西國第三十三カ所第27番も兼ねている。
御本尊【阿弥陀如来】御詠歌【親も子も 漏らさず救う 定福寺 子安観音 しるしいやちこ】標石表側 福山西國第27番定福寺裏側 大正15年10月 施主小川助治と刻まれいる。
追記 令和3年10月19日福山城藩主初代水野勝成の長男で慶長3年(1598年)8月26日生まれで、承応4年(1655年)3月28日、58歳で死去墓所広島県福山市北吉津町の日蓮宗妙政寺。