名前 |
恵美須神社(広本町) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.5 |
今回は胡子神社の境内にひっそりと建つ『元標』道しるべを紹介します。
胡子神社の由緒は文末で紹介。
《行程標的》(呉市指定文化財)元標は江戸時代、当時の広村に存在していた道標の基準点であり、行程の起点となっていました。
現在の元標は明治時代に入り石造りにされたものと推測されます。
「国郡志御用書上帳 賀茂郡広村」(文政二年(1819))には「行程元標」として、この元標が記されており、ここを起点とした各村間の距離等が記載されています。
元標があるこの付近には、かつて広場があり、ここを起点として呉方面の馬車が発着し、人力車の待機場もあるなど、明治時代以降も交通の要所として、広村の中枢的な役割を担う場所でした。
道路の拡幅により、元の位置から多少移動していますが、元標の示す方向は当時と同じ向きに設置されています。
(案内板)《胡子神社の由緒》大國主神 事代主神 本殿;二坪神明造り由緒書によると『寛政ノ初 (1789)大新開開墾整理進ムニ至リ民家ヤゝ加ワリ商賣ノ往来亦頻ナリ於此本村商人ノ有志共ニ謀リ中新開西南一角ニ胡子堂ヲ建立シ以テ商賣繁昌五穀豊穣ヲ祈願ス自後此地南北ニ通ズル一帯ノ堤防ヲ胡子通リト称シ商家軒ヲ並ベ本村ノ枢要トナルニ至ル。
』とあり、(古老口碑)明治29年社殿を現地に奉遷し大正2年之を改築す。
今は行われていませんが、船津神社御神輿渡御お旅所でもありました。