お堀があるだけなので寂しく思いました。
新幹線の駅構内に城跡があります。
ここまで駅近なのは他にはないはずです。
周りはお堀で癒させれました。
新幹線三原駅直結の城跡です天守閣の上を新幹線が見事に走ってます当時の国鉄が高度成長期に乗ってむりくり開通させたのでしょうね歴史的遺産がこのような形での保存に複雑な思いに感じました天守閣の場所は何もないですもちろん新幹線はよく見えます。
新幹線直結の面白い城址跡です。
新神戸駅も似たように観光地直結ですね。
といっても、城址跡を分断するような形でJRが通ってしまったからだと思いますが少し南東のイオンの近くに城壁跡とお堀後が確認できます。
ここは甲府駅を彷彿とさせる仕組みになってますね。
この新幹線直結の城址跡よりも、街に点在する城跡を探す方が個人的には気に入ってます。
よろしければお試し下さい。
駅は南側が栄えており、徒歩圏内にイオンや電気店まであります。
国道2号線もさして遠くありません。
駅から国道に出て左に行けば尾道福山、右に行けば西郷、本郷、広島で非常にわかりやすくなってます。
駅から南に伸びる目抜き通りは楽しくて良いです古いのでホテルなどは古いことを覚悟の上で宿泊されるのが吉です。
古さを理解できていれば立地条件としてはグッドなホテルが安く泊まれます。
小早川隆景さんのお城ってだけでも素晴らしいのだけど まぁ城跡だしちょっと微妙感 でも駅のそばでちょっと公園ぽいのはいいんではないかと。
駅直結なので、気軽に行けてしまう点はいいのですが。
駅を建てた際に石垣が崩されたようで、可能ならもう少し残して欲しかった…という思いもあります。
歴史的背景はあるものの、お堀があるだけなので寂しく思いました。
現在はみんなの憩いの場なんでしょうね、次回は周辺をもっと散策してみようと思います。
数年ぶりに、見学(╹◡╹)見えるものは、少なくても規模は凄いし色々な所に石垣が隠れて保存されているのが面白い所だと思います( ´∀`)
山陽新幹線の三原駅に直結している三原城天主台跡。
公園となっている敷地から、真横を走る新幹線を眺める事が出来るという特異性でマニアには有名なスポットです。
2020.11.20撮影三原城は永禄10年(1567年)毛利元就の三男・小早川隆景によって建てられたと云われ満潮時には城の姿が海に浮かぶように見えたことから別名「浮城」とも呼ばれていましたしかも余人では真似るべきではないといわれた「アブリ積み」という特殊工法は古代の石積形式を400年以上経た今でも立派に伝えています。
駅が天守台の上に建っている為、天主台へ登るにはJR三原駅1階コンコースからで専用通路はAM6:30~PM10:00まで舟入櫓跡の石垣は市の港町公園となっているので常時見学ができ堀には悠々と泳ぐ錦鯉がいて水面に空が映って、まるで空を泳ぐ鯉のようでした※「アブリ積み」とは面の方が控え(奥行き)よりも寸法が大きいため、あごだしや目違いがおこりやすいので崩れやすく石垣を積む技術としては邪道で基本的にやってはいけない工法みたいですここまで大規模なアブリ積みの石垣が現存していることじたい奇跡と言っても良いくらいで、たくさんの方に来て見ていただきたいです。
三原駅に取り込まれてる三原城。
駅構内に天守台への出入り口があり、時間内であれば自由に出入りできる。
三本の矢で有名な毛利三兄弟の一人、小早川隆景のお城で、今じゃわからないが海が近くて水軍の拠点だったらしい。
春日局も一時滞在。
小早川隆景の本拠地で、ここを拠点に瀬戸内海にその勢力をしだいに伸ばしていった。
芸予諸島へ進出する際にその先兵となったのは、小泉・船木・土倉・浦・生口などの沿岸部に拠点があった小早川一族である。
彼らは、惣領家である沼田小早川家から分かれた庶家で、いずれも海に縁のある氏姓を名乗っていた。
小早川隆景は、能島水軍を率いて「海賊総大将」を名乗っていた村上武吉(たけよし)と親交を結ぶようになった。
隆景は戦略的に彼ら海賊衆を利用しただけではなかった。
村上武吉とは人間的にも友情を通じ、お互いに信頼できる盟友と感じていたようだ。
⑪秀吉が全国統一をなしとげたあとでも、最後まで秀吉に恭順の姿勢を示さなかったのが能島 村上水軍を率いる村上武吉だった。
天下を取った秀吉は、村上水軍を名乗る海賊衆に対して徹底した弾圧解体作戦で臨んだ。
能島の水軍城を焼き払い、その繊滅を命じた。
多くの武将たちは秀吉の威光を恐れて、警固衆として雇い入れていた海賊衆を見捨てたが、陰に陽に最後まで村上武吉を庇ったのは小早川隆景だった。
そのために秀吉に睨まれて、彼の政治的立場も一時危うくなるのだが、隆景は最後まで義理を通して武書を守った。
まことに「智略に富み人情厚き武将だった」というのが村上水軍の隆景評である。
2017年12月に訪問。
続日本100名城の一つで、当時は海とも繋がっていたようで、満潮時には海に浮かんだように見えることから「浮城」と呼ばれていたようです。
毛利元就公の三男・小早川隆景公が築城したお城です。
史跡としては天守台と水堀などが残っています。
天守台の石垣が綺麗です。
なお、天守台はありますが、当時から天守閣はなかったようです。
また、三原城の北側に「備後・桜山城跡」もあり、三原城の詰め城と考えられている。
天守台の頂上へは、新幹線も停車する三原駅内のコンコースから登ることが可能です。
無料6:30~22:001,三原観光協会(9:00~18:00・定休日なし・年末年始除く)2,みはら歴史館(9:00~17:00・定休日なし・年末年始除く)
JR三原駅の隣に位置するお城で福山城に似た感じですが、こちらは天守台の一部に新幹線ホームが被っています。
なので駅のコンコースから天守台に上がります。
この城は天守を持たなかった平城であったそうですが今は何もなく公園になっています。
新幹線の待ち時間があれば上ってみると気持ちがいいと思います。
続日本百名城No.172 毛利水軍の拠点となった瀨戸内の海城・三原城!現在駅隣接で、天守台と船入櫓の一部しか残っていませんが、櫓32と城門14もあったとても大きな城だったそうです。
また天守台は壮大で市街地には船入櫓跡の石垣を見ることも出来ます。
毛利一門の小早川隆景が築いた水軍の要害が全身とされる。
天正5年(1577)には織田信長の中国攻めを受けて、毛利輝元が本陣を置き、その後隆景は本能寺の変以降の情勢の変化を考慮し城を改修し、やがて筑前へ移るが、文禄4年(1595)に養子秀秋に譲ると、三原へ戻り城と城下町を完成させた。
関ヶ原の戦い後は三原城は広島城の支城となり、福島氏を経て浅野忠吉が城主となり、明治維新まで続いたとされる。
アクセスはJR山陽本線・山陽新幹線三原駅よりすぐです。
登城日:2017.12.18(一回目)
城郭と新幹線をいっぺんに味わえる考えてみれば贅沢な場所です。
明治の先人達がどのようなつもりで城郭をぶったぎったのかと考えながら周辺をあるくのも一興です。
周辺も整備されているのでちょっとした散歩に最適な場所とおもいました。
毛利家中にあって主家を支え続けた小早川隆景が築いた。
同水軍の拠点として、瀬戸内に直接面するように縄張りされた。
近代以降、旧城地を鉄道が貫くに至っても、周辺には往時を伝える遺構が残る。
天守台には駅の構内から入ります。
天守台に登る前に、先に下の隆景公園側から見た方が感動を味わえると思います。
築城450年事業で綺麗になりましたが、綺麗過ぎて少し物足りない気がします。
城や城下町に関する様々な資料が残っているようですので、もっと掲示などをして欲しいですねぇ。
小早川隆景築城、続100名城に選定されました。
本丸が鉄道にぶったぎられていたり、他の縄張りも開発で多くが消失し残念な姿になってますが、日本一の大きさを誇る天守台は見る価値大です。
駅と直結している城があるなんて!!22時まで出入口が空いています。
ライトアップされており、夜でも見学できて良いです。
また舟入櫓が駅の南東にあります。
地図の松下クリニックの東にある細道から入れます。
水堀、石垣があります。
駅から歩いて2分ぐらいですからぜひ!
小早川隆景。
毛利勢の水軍拠点として、直接船で乗り付けられる構造。
元就亡き後、村上水軍への攻める拠点。
名前 |
三原城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0848-64-9234 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 6:30~22:00 |
評価 |
3.6 |
三原駅北にある城跡です。
JR駅の近くにある城としては福山城が有名ですが、三原城はもっと近い、というか、実際のところ「城の上に駅がある」というのが正確なところです。
駅北口から見ると、新幹線の高架が本丸の石垣を一部削って覆いかぶさっているのがわかります。
もとは小早川隆景が築いた大規模な城だったのですが、江戸時代には広島藩の支城となり、明治維新後はその価値を認められることもなく、近代化の流れの中で切り刻まれていきました。
福山城が築城400年でリニューアルされ盛り上がるのに対し、築城450年のこちらの城は天守台の一部を残すだけの無惨な姿。
戦国の勇将小早川隆景の城にしては、あんまりの扱いでは? と、少し不憫な気持ちにもなります。
現在、天守台へは駅の構内から直接入場できるようになっています。
三原駅で少し時間ができたら、ぜひここに足を延ばしてみてください。
今は新幹線ホームとほぼ同じ高さになった天守台跡に立って周りを眺めれば、歴史の無常というか、いろいろの感慨に胸を打たれること間違いありません。