大名(だいみょう)通り江戸時代、このあたりは家老クラスの居宅が並ぶ武家町で大名町と呼ばれた。
その名の由来は、ここから東にある播磨国総社が惣社大明神とも呼ばれたからとも、戦国時代の字名によるものともいわれている。
明治時代になると姫路城の中曲輪にある侍屋敷は取り払われて陸軍の軍用地となり、このあたりは城南練兵場となった。
その後、中曲輪の軍用地は本町に転入され、そのすべてが六十八番地となった。
この番地は今でも皇居についで二番目に広い番地である。
■姫路侍屋敷図(江戸後期:一七四九~一八一六年)姫路城図屏風(大谷信一氏蔵)姫路城うちまちミュージアム「まち全体が博物館」城南連合自治会(平成二十八年度地域夢プラン継承事業)
名前 |
大名通り |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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ポストは金色。