日本の資本主義の父の像です。
「渋沢栄一像」朝倉文夫 / / .
戦争中に金属供出を経て戦後に彫刻家 朝倉文夫氏によって作られたことは解説を読んで知りました。
企業、大学の歴史を辿ると驚くほど多くの礎を築いたと思いを馳せます。
渋沢栄一の銅像です、かなり大きいです。
周囲の公園は工事中ですが銅像は見学できるようになっています。
NHK大河ドラマで御馴染みの渋沢栄一氏の銅像。
この度、新紙幣にもなるということであやかりたく来訪。
まず銅像は見る角度によって表情や印象が変わってみえ、とても氏の感じをよくあらわしよくできた作品だと思いました。
あまり誰かの銅像をわざわざ観に行くことって少ないのですが、さすがに日本経済の父、その功績をたたえたい気持ちでいっぱいになりました。
ですが、ちょっと周りの様子が大河ドラマも終了したせいもあってか、なんだか打ち捨てられてほっとかれているような印象でもう少し綺麗な状態にしてくれたらとなと、思わざるを得ませんでした。
東京の中心に立つ渋沢栄一翁の銅像はなかなか立派です。
ただちょっと目立たない所にあります。
最寄り駅は地下鉄東京メトロ大手町駅と三越前駅ですが東京駅からも歩いて15分〜20分程度の近さです。
私は東京丸の内北口から歩いて向かいました。
常盤橋公園の端に建立されており銅像の隣は現在工事中でした。
渋沢栄一翁の関連施設でしたら嬉しいですね。
また近くには貨幣博物館もあり無料で見学もできるのでお薦めです。
そんなに人通りも多くない常磐橋公園に意外なほど立派な故渋沢栄一氏の銅像が建てられています。
この銅像は実は2代目です。
初代は1933年に建てられましたが第二次世界大戦による金属提供で撤去されました。
現在の像は東洋のロダンとも称された朝倉文夫によるもので1955年に建てられています。
実は渋沢栄一の銅像は結構あちこちにあります。
邸宅があった北区の飛鳥山公園、東京商工会議所、帝国ホテルの敷地内、板橋区の都健康長寿医療センター、そして出身地である深谷のJR駅前にもあるそうです。
この常磐橋公園は江戸城の城門の一つ常盤橋門があった場所であり、現存する城門の石垣は常盤橋門跡として国の史跡に指定されています。
大河ドラマ「青天を衝け」のモデルとなった渋沢栄一の像が設置されています。
多様化する社会自由競争が社会を混乱に導き街の中心が消える東京コロナ禍で見直されるべき論語と算盤。
こんなところにあるとは知らなんだ。
#渋沢栄一。
2021年NHK大河ドラマの主人公渋沢栄一銅像です今の日本国産業の父ありがとうございます感謝です。
神田川のほとり、大手町の外れに、次の一万円札の肖像となる渋澤栄一翁の像がひっそりと立っている。
江戸末期から昭和初期まで生き抜き、戦争で接収された銅像を、昭和30年に復活させたと、現地の銘板にあった。
日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一の銅像は、都内には3体ありますが、その内の一つが日本橋川沿いにある常盤橋公園にあります。
戦争による金属回収で一度は撤去されましたが、1955年に再建されました。
渋沢栄一は、2018年に創立140周年を迎える東京商工会議所をはじめ、日本初の銀行である第一国立銀行、東京証券取引所、東京ガス、帝国ホテル、キリンビールなど500社以上の設立に関与した大実業家でした。
22歳で江戸へ出て、お玉ヶ池にあった玄武館で剣術修行をしていました。
また、神田小川町裏神保小道に住んでいたこともありました。
大手町にぽつんと建っている渋沢栄一の銅像です。
看板にはいろいろな事が描いてあるので、読んでみると歴史に触れられることが出来ます。
銅像の裏側にも回れるので、いろいろな角度から見られます。
また、当日は雀がいたので記念に撮影してみました。
江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(幕臣)に取り立てられ、明治政府では大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔・井上馨の下で財政政策を行った。
退官後は実業家に転じ、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な企業の設立・経営に関わり、二松學舍第3代舎長(現在の二松学舎大学)を務めた他、商法講習所(現在の一橋大学)、大倉商業学校(現在の東京経済大学)の設立にも尽力し、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。
また、論語を通じた経営哲学でも広く知られている。
2024年より新紙幣一万円札の顔となる。
1840年3月16日(天保11年2月13日)生まれ明治時代の官僚をへて第一国立銀行ほか東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。
祝1万円札!昭和8年建立。
実物の1.3倍位かな?
渋沢さんは、埼玉県のご出身の様ですね、農家の出らしいです。
道徳経済合一主義、なかなか難しいことをやられたのですね。
こういう史蹟や碑を回るのもいいものです、説明板を読むと、これまで知ってたことは氷山の一角レベルだったことを思い知らせれつつ、ほんのすこし多くの事が知れることで楽しめます。
日本の色々な企業の設立に携わったので、何処に銅像建てるのか悩んだと思いますがこちらにあります。
ちなみにお墓は谷中霊園にあります。
今までは谷中霊園の人と理解してましたが、これからは新札の人となり企業経営や設立についてテレビなどで取り上げられるでしょうか。
第一勧業銀行初め七十七銀行から他の業種に股がり現在では考えられない活躍をされてました。
谷中霊園に行きましたらまた徳川慶喜さんだけでなく、渋沢栄一さんも寄ってみたいです。
日本の資本主義の父の像です。
江戸の最初の銭湯はこの辺りにあったらしい。
渋沢栄一像があるのは、興業銀行が最初ここに建てられたというのが、一番の理由ではないか?渋沢栄一が創設者だったはず。
興業銀行を建てる時に合わせて、日銀との間に常磐橋を架けたのかもしれないが。
なお、明治に造られた石造のアーチ橋は、その南の現在の常盤橋に対して「常磐橋」と呼ぶ。
常盤橋の近くに近代銀行の父である渋沢栄一の像がある。
橋を渡る先に日本銀行があるので、まさにふさわしい場所に建っている。
故郷の深谷にもあるらしい。
埼玉県深谷駅と東上線大山駅の近くにも像が有りますよ。
数年後にこの辺も東京タワーやスカイツリーみたいな名所になるハズだが今は工事真っ最中で、とても寂しい。
その際にきっと、渋沢栄一もテレビで特集され見直されるでしょう。
…名所になった途端、移転されたりして…
北区の飛鳥山で渋沢栄一氏、その時代背景を学習したらここに来たくなった。
ほんま、どえらい大きさの銅像。
彼が見ている先には何があるのだろうか。
どんな時代だったのか、そして今の時代はどうなんだろうか。
激動する社会、産業、暮らし、世界、そんなことを考えさせられました。
常盤橋のたもとにあり、日本橋から東京駅に向かって歩く時は何時も見上げてしまいます。
東日本大震災で被災した常盤橋の復旧工事が進められていますが、早く美しい姿をまた見たいものです。
意外と大きな実業家の銅像。
名前 |
「渋沢栄一像」朝倉文夫 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
2023年春 平日東京駅の用件で、少し時間があったので周囲を散策、常盤橋公園に偶然にも発見!まさか、渋沢栄一の銅像とは!大きなしっかりした銅像です。
新しいお札のお顔そのままです。
なぜかひっそりとしており、寂しいですね😔