相馬家が買い取り、屋敷としたものです。
江戸時代は将軍家の鷹狩り場だった御留(おとめ)山を明治になり、相馬家が買い取り、屋敷としたものです。
相馬家は平氏一門の名族であり、戦国時代は伊達政宗を相手に一歩も引かずに本領を守り抜き、関ヶ原の戦いでは中立を維持。
徳川家から西軍寄りと見なされていったん改易されるも、本田正信や伊達政宗のとりなしによりまたしても本領を安堵され、相馬中村藩として明治時代まで続きます。
戊辰戦争においても、奥羽越列藩同盟に属しましたが、早々に明治政府に降伏をし、以降は明治政府の戊辰戦争の東北方の拠点を提供しました。
巧みに生き延びた相馬家の知恵や武勇、そして長い歴史を調べるきっかけを与えてくれたこの坂には感謝しています。
江戸時代にはこの坂上に相馬藩の屋敷があったのでこの名前になったようです。
坂は 目白御留坂と呼ばれてました。
御留坂でも目白御留坂でも良かったですね。
この坂の隣のおとめ山公園は、御禁止山(おとめやま)だったのですね!
『この坂に隣接する「おとめ山公園は、江戸時代には将軍家御鷹場として一般人の立入りを禁止した御禁止山(おとめやま)であった。
この一帯を明治時代末に相馬家が買い取って屋敷を建てた。
この坂は新井薬師道から相馬邸に向け新たに通された坂道であるため、こう呼ばれた。
平成十五年三月 新宿区教育委員会設置』看板にはこのように記されている。
名前 |
相馬坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://bunkakanko-annai.city.shinjuku.lg.jp/shosai3/?id=B046 |
評価 |
3.4 |
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