井戸の水は飲めないそうです。
境稲荷神社の北側 、東京大学の池之端門の脇にある井戸。
『源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行ののどをうるおしたと伝え』とある。
都内に数少ない義経伝説由来の史跡ということになる。
井戸跡と手押しポンプ、石碑と賽銭箱、教育委員会による解説版とフルセットな感じ。
ちなみに井戸跡はただのコンクリートの円柱でしたが、気がつけば立派な石組みになっている。
ポンプは名古屋にある 慶和製作所製。
興味深いのは石碑で、裏側には紀元二千六百年記念昭和十五年十一月玉林 繁 撰上杉神社宮司正六位大乗寺良一 書名水再顕建碑者横山大観大谷信助鈴木新吉水谷小太郎齋籐金藏とあるようです。
この井戸は一時埋められていたのを、昭和15年(1940年)に再建した。
その記念碑ということですが、興味深いのは『紀元二千六百年記念』とあること。
そして近所に住んでいた横山大観の名前があること。
なぜか「書」は上杉神社の大乗寺良一とあること。
ちなみに上杉神社は米沢市にある。
井戸の水は飲めないそうです。
鏡稲荷神社の裏にある井戸。
奥州へ向かう途中弁慶が見つけ、源義経一行の喉を潤したと伝えられている。
江戸史などの史料にも、名水と紹介されている。
今でもポンプを押せば水は出るが飲むことはできない。
井戸は封がされていて、普段は中を覗くことはできない。
車両の往来があるので、周囲に気をつけて見学しましょう。
ジョギングの途中で顔を洗わせていただきました。
さっぱり。
伝承はどこにでもある。
BENKEI KAGAMI WELL Sakaiinari Shrine ia a legendary shrine that is bilieved by many residents today that have been first built in the mid 15th Century and burnt down and rebuilt time and time again. Toward the north side of the shrine is a well which was founded by Benkei who is a follower of a famous Samurai Minamoto no Yoshitsune in the late 12th Century and passed down through him from generation to generation. This well has be been long known to its delicious water,and during the big air raid by United State of America in 1945, the well was a great sabiour providing water to drink for many victims of fire.t(台東区教育委員会看板書より) 境稲荷神社の創建年代は不明だが、当地の伝承によれば文明年間(1469~1486)に室町幕府第9代将軍足利義尚が再建したという。
「境稲荷」の社名は、この付近が忍ヶ岡(上野台地)と向ヶ岡(本郷台地)の境であることに由来し、かつての茅町(現、池ノ端1・2丁目の一部)の鎮守として信仰をあつめている。
社殿北側の井戸は、源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行ののどをうるおしたと伝え、『江戸志』など江戸時代の史料にも名水として記録がある。
一時埋め戻したが、昭和15年(1940)に再び掘り出し、とくに昭和20年(1945)の東京大空襲では多くの被災者を飢渇から救った。
井戸脇の石碑は掘り出した際の記念碑で、造立者の中には当地に住んでいた画伯横山大観の名も見える。
名前 |
弁慶鏡ヶ井戸 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
何回も前を通っているのに、記憶に残っていませんでした。
新ためて行って見ると歴史が感じられる所でした。