いわゆる地元な神社のひとつです。
戸田城主桃井中務大輔直和が武運長久のために大宮氷川神社を勧請して永徳2年(1382)に創建したと伝えられ、明治6年には村社に列格、明治40年旧上戸田村にあった羽黒社、道祖神社、山王社、稲荷社などを合祀しています。
当地周辺は、なお、当地周辺からは、方形周溝墓が百基以上発見されている他、蕨宿(戸田渡しから街道沿いに北に延びる字元蕨)が慶長19年(1614)が置かれており、往昔からの要衝地だといいます。
主祭神/素盞嗚尊(すさのおのみこと)永徳二年(1382年)戸田城主桃井中務大輔直和が大宮氷川神社を勧請し、真言宗/亀宝山能満寺多福院を建て当社の別当とし村の鎮守氏神として祀ったもので、参道の大鳥居は寛政十年(1798年)建立、庚申塔は延宝元年(1673年)建立。
初めて訪問しました社務所と伏見稲荷神社がある神社で境内は広いです社務所は特定の日にしか空いてなくちょっと寂しいですがまた訪問したいです。
コロナの状況下であっても、私自身のパワースポットです。
生きる力を頂いています。
⊂(・ε・`)ノシ.:∴
静かな神社です。
宝くじあたりますように。
小さな古い地域の神社。
上戸田氷川神社。
いわゆる地元な神社のひとつです。
ちゃんと奥宮も在り、管理人もちゃんとしてますので、常に最良の状態を保っています。
戸田村当時の村の神社。
社の左手、伏見稲荷が祀って有り、赤い鳥居が数あれば人の回遊も多いのに、部分的に手が入り整理されているだけに、もう一段社裏の右奥に笹だけなどを配置し隣家を見せぬような工夫があれば羽黒神社も映えるに…この案は熱海来宮神社が正に社の奥に巨木(大楠)が有り、社殿の脇を登って行く際に従来はまるっきり見えてしまうその後身体を笹竹などを植え込んで直視できない状況にして演出をした結果、従来に倍加して参拝客が増えたのをここ数年でまじかに見たことから、提案。
地元の篤志家でもいればそんなことができるのでしょうが、そんな時代はとうに過ぎ去っているのでしょう。
自分の子供が小さなときにお参りした思い出深い神社です。
今でも、願いを込めた絵馬が多く奉納されています。
戸田市上戸田3丁目に〔上戸田氷川神社〕がある。
壁際に芭蕉句碑が建っており、涼しさやほの三日月の羽黒山 はせをと刻まれている。
文政7年(1824)建立の碑。
明治40年にボートコース下流の水門付近にあった〔羽黒社〕が合祀されたときに移された。
句は元禄2年(1689)に〔奥の細道〕の旅で詠まれたもの。
駐車場無し力石たくさんあります。
名前 |
上戸田氷川神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
048-433-6030 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
ここ数年バイト絡みでこの地域に進出してます。
氷川神社に惹かれるので参拝。
社務所の開所日が限られています。
参拝した日はちょうどお雛様を本殿に飾られてる最中でした。
地元で愛されてる神社の様です。